まず書いてみよう

大学生が日頃の気付き、学びを気軽に綴っていくブログです!

意外に習慣化したという

テーマ

今回はここまで15記事ほどブログを書いてみて思ったことを書いてみます。つまりブログのことをブログにするというメタブログ的な(ry

自分にしては意外に続いていることに驚いています!w

結論

ブログを書いて思ったことは

  • アウトプット先があるので日頃から思考することが増える
  • ブログに言語化する過程でさらに思考が促される
  • 読み手を意識することで本質を明確にすることが求められる

ということです。次に個々に関して見ていきたいと思います。

ブログの目的

そもそもなんのためにブログ書いてたんだっけというと以下のような感じでした。

  • 日頃の思考することの蓄積
  • 言語化による理解の深化

思考を言語化し整理する。そのアウトプットとしてのブログ。なので自分目線でスタートしました。Facebookでシェアすることで、コミットメントとして、継続していこうという思いでした。

ですが、実際に始めて見ると色んな方から「ブログ読んだよ!」と声をかけていただけたり、フィードバックやコメントをくださったりして、ブログはインタラクションな媒体であるのだなと思いました。

そこから

  • 自分が伝えたいことの拡散

なんてことも1つの執筆の目的となってきました。自分視点でスタートしたブログですが、最近は読み手を意識して、インタラクションの媒体としてのブログを目指しています。

ブログを始めて思ったこと

次にブログを始めて、どんな気づきがあったかということを書いていきます。

アウトプット先があるので日頃から思考することが増える

これがすごく大きかったです。インスタをやっていると、色んな景色や場面をインスタ目線で見るようになると同じです(笑)これってブログのテーマになるかも!的なことが勝手に浮かんできたり、ふと見ている光景から「これってこういうことなんじゃないか?」っていう問いが浮かんできます。

======================================

先日、駅のホームから改札階に上がるエスカレーターに乗っていました。エスカレーターの横の壁を見ると「危」という張り紙がしてあります。「なんのこっちゃ?」と思い、ずっと壁を見ていると次の張り紙には「な」。その後も「い」「の」「で」と続く。エスカレーターの後半でその意味に気づく。「危ないので走らないで下さい」ということでした。「いや、エスカレーターの後半で意味がわかっても意味がないやん!もう走り終えてるわ!w」と突っ込みたくなりました。これは不適切なデザインです。

でも世の中って結構こういう不適切なデザインに溢れてるんじゃないかなと思いました。きちっと利用者の目線で考える事って重要なんだなとそんなことを思いました。

======================================

的な感じのことを色んな場面で考えるようになりました。これ面白いかも!なんて目でいろんなこと考えたり、世界を見る目が養われている感覚です。

これも恐らくコメントやフィードバックなど、インタラクションが存在することで投稿意欲が高められていることが影響していると思います。誰にも見られない場では、投稿意欲も上がらないですし、みんなに見てもらえるから養われているのだと思います。

ブログに言語化する過程でさらに思考が促される

ブログを書いてると「この説明微妙じゃないか」「説明できていない気がする」って思うことが度々あります。そうなると再度その事象に対して思考することになります。その結果、「さっきの考え方は間違ってたな」とか「この説明のほうがわかりやすい」ってなることが多いです。

頭の中で考えていたことを文字に起こす過程で、曖昧さが排除されるので、言葉の意味や論理の関係が明確になります。「言語化」を取り扱った回でも書きましたが、やはり頭で考えていることと文字に起こすことは別物です。

ブログに書き起こすことで、さらに自分の思考の引き出しが増えたと感じます。

読み手を意識することで本質を明確にすることが求められる

ブログには書き手と読み手がいます。書き手と読み手の間には情報の非対称性が存在するため、書き手の書いたことがそのままの意味で読み手に伝わるとは限りません。

そのため、自分の伝えたいことを読み手に伝えるには、理解に必要な情報を論理的に組み立てる必要があります。また必要以上の情報を読み手を混乱させるため、簡潔に書くことが重要です。

その過程で、伝えたいことに必要ないことは取り払い「つまり何がいいたいのか?」が絶えず意識されます。そして「それが何の役に立つのか?」ということも求められます。

「モーターって、電流が磁場から受ける力で軸を回転させてるんだよ!」

っていう原理や仕組みを説明しても

「そうなんだ!それで?」

となってしまいます。それにより「じゃあそれを知って次にどんなことができるの?」まで落とすことを意識することになります。しかしなかなかそこまでたどり着かず「このテーマってあんま意味ないかも」って思うことも結構あります。

このようにブログで「So what?(だからなに?)」と問うことで、その情報の価値を考えたり、行動の変化にまで結びつける意識が高まっています。

アウトプットの場を先に用意すること

自分の考えなのですが何かある能力を高めたいのであれば、初めにアウトプットの場を用意するのがいいと思っています。極端に言うと、英語ができるようになりたいなら、文法の勉強を始めるより、まずアメリカに引っ越す的な感じです。

何かの領域に関しての成長って簡単に言うと

「①インプット→②アウトプット→③FB→①インプット→②アウトプット...」

の繰り返しだと思ってます。インプットもアウトプットとして使うことで浸透していきます。逆に言えばアウトプットの場がなければ、インプットにも限界があるのです。

なので鍵はやはりアウトプット。アウトプットの場があれば、インプットする目的やインプットするべき内容が明確になります。そうするとモチベーションも継続するし、理解度も高まりやすいです。何より「やらないと!」感が出ます。

  • リーダーシップを身に着けたいなら、とりあえずリーダーに立候補する
  • 簿記の勉強するなら、参考書買う前に試験に申し込む
  • 株を勉強したいなら、とりあえず株を買う

こんなイメージです。コミットメント効果とも混ざっている気もしますが、、、

とにかく先に「アウトプットの場」を決めてしまえば、インプットが進みます。

まとめ

勢いで始めたブログでしたが、やってみてよかったと思います。皆様からいただくコメントだったりフィードバックがとても励みになっております。これからも書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

始めるのすごく簡単だったので、みなさんも是非ブログ書きましょう!笑

今週読んだもの・見たものたち

テーマ

今回は特定のトピックに関して書くというよりは、今週自分が触れたもののに関しての感想をつらつらと書いていきます。インプットしたものへの感情・思考をアウトプットに移し、整理するという目的です。

ハイライト

今週は以下の本・映画を見ました。

個々に感想、思ったことなどを書いていきます。

ニュー・シネマ・パラダイス

▼概要

ニュー・シネマ・パラダイス(伊:Nuovo Cinema Paradiso)』はジュゼッペ・トルナトーレ監督による1988年公開のイタリア映画です。今から30年前の作品で、自分たちの両親世代には非常に有名だと思います。

映画を題材に描かれる愛情友情がテーマです。詳しいストーリーはWikipedia等に載っていますが、ぜひ一度は誰にも見て欲しい作品です。僕にとっては一生心に残る作品だと思います。音楽も本当に素晴らしいです。

▼言語や理性を超越して溢れ出す感情

見た際に、最後のシーンで、とても感動してしまうのですが「なぜ自分がこんなにも感動しているのか」が説明できませんでした。何に自分が感動しているのかわからない。

でもとても泣けてくるのです。この経験を通じて、人間には言語や理性、論理では理解ができないものがあるんだと感じました。ある要素に反応して言語より更に抽象度が高い?深層?で自分の感情が引き出されるのだと思います。

音楽でも同じことなんだろうと思います。音楽は歌を除いて言葉は無く、でも自分たちの心に様々な感情を芽生えさせます。ドレミファソラシドの1音1音では何も感じないのに、それがあるパターンで組み合わせされた時に自分たちの感情が動くというのは一体どういうことなのでしょうか。そのような仕組みを自分たちは言語よりも更に抽象度の高いところで理解する仕組みを持っているということなのかもしれません。恐らくその仕組みは言語化出来ません。

そのへんの領域に他の生物や、機械には変わられない何か人間固有の機能があるのかもしれないと、感動に浸った後に、こんな無機質なこと考えてしまいましたw

虐殺器官

タイトルが非常に物騒ですが『虐殺器官』は伊藤計劃著のSF小説です。今年の2月にアニメ映画としても公開されていました。

▼概要

SFといっても9.11後の世界を舞台にした作品です。9.11後サラエボが核爆弾によって消滅し、それをきっかけに内戦や民族虐殺が後進諸国で激増する。アメリカ情報軍の主人公はその背後にいるとされる1人の米国人を追っていく、という話です。伊藤計劃氏のもう一つの作品『ハーモニー』は、高度な医療が発展し、人間が社会のリソースとして異常なまでに健康・幸福であることを管理された社会が舞台でしたが、この作品は対極のような世界観です。

▼これも言語を越えた何か

※ネタバレを含むのでこれから読む予定の方はご注意下さい。

言語には、文法よりも更に高次の、どんな言語にも共通するようなパターンが存在し、それを発見した男がそのパターンを利用し、人間が過去に持っていた虐殺的機能を引き起こしたというのがこの現象の真相です。

これも上記『ニュー・シネマ・パラダイス』の感想にも被りますが、人間は言語以上よりも高い次元のものを扱っているのだなと思います。チョムスキーのいう「普遍文法」のようなものです。人間の生物的な進化には興味が高まるばかりです。

その他にも

・人間も物質の集合体にすぎないが、人間がそこに意味をもたらす

・どんな戦争も大義の元で行われる

・進化とは環境への適応ではなく、自然淘汰の結果にすぎない

なんてことを考えたり、思ったりしました。世界観暗めですが、人間の本性に迫るような大事なことを書いてあると思いました。『ハーモニー』と一緒に読むことをおすすめします!

人類の未来 - AI、経済、民主主義

▼概要

テクノロジー、政治、経済、物理など、様々な領域の5人の「知の巨人」に今後の社会の変化に対する考えを聞くという本。

▼知の巨人の共通点

5人それぞれが同じトピックに対しても違った見方をしている。この違いは専門性の違いによる視点の違いや自分の拠り所とする価値観・宗教などの違いがあるように思う。(もともともそんなに興味のない領域だから、深く考えずに答えている場合もある)

共通するのはどのような領域にも自分の意見を持つことができ、それに対してそれなりの根拠を持っている。どの人も世界に対して高い好奇心があり、様々な領域の知識をもっている。世界の情勢だけでなく、世界の成り立ちや人間の成り立ちなど、時間軸・空間軸両方に広い理解がある。

やはり専門性は重要であり、深い専門性を持つことで事象の本質を探っていくことが出来る。(観点が専門性によって変わる)

不道徳教育

▼概要

社会的に悪だと見られている、麻薬密売人や闇金融、悪徳警察官などが本当は合理的で、悪どころか社会に貢献している。ウォルター・ブロックがリバタリアンの視点から社会の悪を擁護する。

▼理性と感情のバランスが取れない

麻薬は禁止するのではなく、むしろオープンにすれば良いというリバタリアン自由至上主義者)の主張は、論理的には理解ができるのですが、やはり感情が追いついていかない感覚があります。「本当にそんなことして平気なの?」と。事実マリファナが合法化されているオランダは、マリファナを禁止しているアメリカよりも吸引率が低いという話も聞いたことがありますが、実際本当にそうなるのでしょうか。。。怖い。

読んだ印象としては中途半端に政府が関与したりすると、逆に市場原理に歪みが出て、そういった社会にマイナスが生まれてくるという印象です。やるなら振り切ってしまえばいいのでしょうか。

リバタリアンの考え方はこの本で掴めた感じがするので、今度は逆にそういった考え方を否定する主義主張にも触れてみたいと思います。

まとめ

今回は今週読んだもの見たものの感想まとめでした。何かインプットしたらそのままにせず、きちんと思ったことをまとめる癖をつけるのは重要だなと思いました。

 

「自責」をポジティブに捉える

テーマ

今回は「自責」とは何か、をテーマに書いていきたいと思います。大学まで自責なんて言葉、使うことはありませんでしたが、その重要性は集団活動をする上でひしひしと実感しました。

結論

この記事でいいたいことは、

  • 何事も「自責」の観点で振り返る
  • 「自分に何ができたか」とポジティブに捉えることが大事
  • 当事者意識を持てる範囲の広さは自分につながる

ということです。まずは自責とは何かを見ていきたいと思います。

自責とは何か

自責は文字通り「自分を責めること」です。別の言い方では「自分に責任があると考えること」になります。
何か失敗した時には、どこかに原因があり、その原因を帰着させる対象が誰なのかというのを考えた時、対象が自分の場合が「自責」、自分以外の場合が「他責」です。
自責を「自分を責める」ことと考えると、結構ネガティブでつらいもののイメージになりますが、自分は自責をそんな重いものと捉える必要は無いと思います。(失敗を軽く捉えていいということではない)
自責とは「自分には何ができるか/できたか」を考えることです。何かの結果が出た時に「自分はこの対象に対して100%やりきれたのか?」「これ以上やれる余地はなかったのか?」という問いを立てることが自責だと思います。
自責と同じような言葉に「主語を自分にする」というものがあります。どちらも自分視点で結果を反省をするということです。
高いレベルの問題に対して自責で考えることができるようになれば、自分の行動も高い次元で変わっていきます。取り組む問題のレベルが高いほど、自分の能力がそれだけストレッチされます。難しい問題、大きな問題ほど自責で考えられることが重要でしょう。

なぜ自責にしなければならないか

自責にする理由は、更に高い結果を出せるようになるためです。これにはひっくり返した問いとして「なぜ他責ではいけないのか」を先に考えるといいでしょう。
 
「あいつがあの場面でああいうことをしなければ、、、」
「うちの会社はそういう場所だから、、、」
 
こういうことを言いたくなることあると思います。これが他責の例です。自分以外の他者や環境に責任を押し付けるものです。
根源的には人間は自分に責任を感じたくないものだと思います。責任を感じるということは、負担がかかるものです。他責にすれば自分はその負担をしなくてすみます。
しかしその半面、他責にした時点で自分の思考や行動は停止します。つまり何も変わらないのです。一時的な心の負担から開放されるだけであって、問題の根幹は何も解決されず、いずれ同様の失敗を犯します。
人間は自分を通じてでしか、他人や環境を変えることはできません。本当に失敗の原因が自分以外の誰かや、環境にあるのだとしても、他責にするだけでは何も状況は変えられません。自分を通じて、その人や環境を変えていかなければ同じ失敗が繰り返されるだけです。
自責にすることで初めて、自分が何をするべきだったのか、次に自分の行動をどう変えるべきなのかを考えることができます。そしてそれを行動に移した結果、問題が解決されていくようになるのです。

行動を変えるまでが重要

自責で物事を考えるだけでなく、考えた結果を行動に移すまでをしなければいけません。自分の行動が変わることこそが重要であり、それゆえ難しいものであります。自責で自分変えるべき行動はわかっているが、心では責任を感じていない場合などは難しいです。自分の行動を変えるべき動機が感情的に持てないからです。また行動を変えていく際には、自分のやったことのないことに挑戦することになります。
自責で行動を変え続けていくことは難しいですが、しかし行動が変わらない限り、問題の状況は変わることはありません。小さな行動から始めて、手応えを得ながら、徐々に大きな行動に移していくのは良いやり方かもしれません。
ここではどのように自分を変える行動を取るかは述べられませんが、自責で考えるだけでなく、行動を変えるまでが重要ということを理解していただきたいです。

当事者意識について

自責に似た言葉に「当事者意識」という言葉があります。60%ぐらい意味が重なっていると思いますが、ニュアンスの違いを上手く説明できませんw
当事者意識を高く持つことは重要です。広く物事を自分のことと捉えられることは自分の行動の変化を促します。当事者意識は「範囲」という言葉と相性がいいと思います。どこまでの範囲を自分のこととして捉えられるか、という考え方です。
自分に直接的に関係のないような地球規模の問題に対しても自分に関わりのあることだと考え(当事者意識を持ち)、自分に何ができるか/できたかを考える(自責で考える)のが大事です。広い範囲を自責で捉えられるようには高い当事者意識が必要になります。どちらの言葉にも共通するのは、しっかりと「自分」を主体として捉えることです。

まとめ

今回は自責をテーマに書きました。再度結論を繰り返すと
  • 何事も「自責」の観点で振り返る
  • 「自分に何ができたか」とポジティブに捉えることが大事
  • 当事者意識を持てる範囲の広さは自分につながる
 となります。自分をどれだけ変えられたかが、自ずと結果に反映されると思うので、ポジティブに自責の考え方をし、次の自分の行動をより良くしていきましょう!

仕事ができるようになるには?(後編)

テーマ

前回に引き続き、仕事が上手くできるようになるにはどうしたらいいのか、ということを考察していきます。今回はアウトプット編です。投資した時間・労力をどのように形にしていけばいいのかを考えていきます。

結論

良いアウトプットをするためには以下が必要となります。

  • 課題の質を高めること
  • 課題に対応した施策とアクションを生み出すこと
  • 実行とその管理までやりぬくこと

すごく当然の結論になっていますwこれから全体像と個々を見ていきます。

アウトプットとは何か

大学生になってから途端に「アウトプット」という言葉を使うようになりました。すごく便利な言葉です。議論の結果まとまったアイデアを指したり、自分の意見をアウトプットする(発信する)という意味でいったりもします。とにかく自分のインプットを外に出すということは変わりありません。

ここでは「目的達成のために生み出す価値、成果物」と定義したいと思います。

目的に対する成果そのものは、行動やアイデアの結果なので、アウトプットのニュアンスと少し違います。あくまで自分は、目的達成のために考案したアイデア、そのために行った行動をアウトプットとしたいと思います。

アウトプットの構成分解

ここでアウトプットを少し要素に分解して考えました。4つの要素に分かれます。

f:id:naotowatari:20170623131326p:plain

  1. 達成したいゴール・目的
  2. 取り組むべき課題
  3. 行う戦略戦術(思考段階)
  4. 実行の管理(実現段階)

まず前提となる「達成したいゴール・目的」が存在します。それを達成するためにアウトプットをするということです。そのゴールを達成するためには「取り組むべき課題」が存在します。この課題を解決することでゴールを達成することができます。課題を解決するためには「戦略戦術」が必要になります。しかし戦略戦術を考えるだけでは課題は解決されず、「実行」しなければいけません。実行時には戦略戦術を考えていた時には想定しなかった事態が生じます。それにも対処する必要があります。

アウトプットと見られるのは3と4です。(2は3と4の前提になっている)

次から個々の部分を見ていきます。

1. 達成したいゴール・目的

自分がアウトプットを出す目的となるものです。「会社を成長させる」と言った定性的なものと、「売上を昨年度比で20%増加させる」と言った定量的なものがあります。

このゴールがぶれているとアウトプットもぶれがちになるので、明確に定義することが重要です。

これ自体は自分で決めることなく、上司など他の人から決められることもあると思いますが、人間同士で認識がズレる場合があるのでゴールイメージの共有を計ることが重要となります。

2. 取り組むべき課題

ゴール達成のために取り組むべき課題を設定する必要があります。その課題の特定のために大事な概念がいくつかあります。

ロジカルシンキング諸概念

ロジカルシンキング本に載っているMECE、ロジックツリーなどの諸概念です。ロジカルシンキングの概念を用いることで、自分が取り組む対象を網羅的に理解することができます。

網羅的に理解することで、取り組むべき対象に含まれる要素同士の関係性や、リサーチすべき具体な要素が明らかになります。ここで合理性を欠いてしまうと、課題の取りこぼしや取り逃しなどが生じます。

課題を特定するのにおいては、まず課題を見逃さないために、問題の全体像を網羅的に把握するためのロジカルシンキングが必要です。

自分がよく参考にさせていただいていた良いサイトがあるので貼っておきます!

N's spirit 投資学・経営学研究室

ファクト収集

次がファクト(事実)を情報として集めることです。ロジカルシンキングで構造化したものはまだあくまで理想や可能性の話で、実際の情報を集めなければ、取り組むべき課題を発見することは出来ません。

マクロデータなどからの情報収集や、実際のユーザー・関係者からのヒアリングなどで実態を調べる必要があります。

特にヒアリングの場合は、どうしてもヒアリング対象者の主観が入ってしまうため、ファクトとしての取扱いに注意が必要です。

集まった情報をロジカルシンキングによって構造化したものに当てはめることで課題の検証ができます。

仮説検証

そして自分たちの持っている課題の仮説(これが課題なのではないか?という仮説)を実際に集めた情報を元に確かめる。

例えば、自分の飲食店が儲からないのは、顧客の平均単価が低いからではないか、といった仮説を持った。実際に周辺の同業他社の顧客単価をリサーチした所、自分のお店の顧客単価は地域の平均よりだいぶ高いという結果が出たとすると、課題は顧客単価ではなく他にあるのではないか、というイメージ。

可能性を事実によって潰していき、新たな可能性をまた確かめていくという工程。

3. 行う戦略戦術(思考段階)

実際に特定した課題をどのように解決していくのかという段階。アウトプットの肝。良い戦略戦術を出すには想像力も必要であるが、以下のような点を意識する。

  • 即アウトプットに走らない
  • 課題そのものにならない
  • 可能な限り話を具体化する
  • 他で使われている概念を抽象化し自らのケースに転用する

即アウトプットに走らない

自分がやりがちなやつです。せっかく課題まで精緻に特定してきたのに、それと一見つながる「やりたいアイデア」をやろうとするのはNG。課題の粒度が粗いとなりがちなイメージ。要素で思考できていないと陥りがち。

ex. モチベーションの低下が課題→じゃあ合宿やろう!

課題そのものにならない

課題は戦略ではない。課題はWhat(何に取り組むのか)であり戦略はHow(どう取り組むのか)である。(戦略と戦術もその関係にあるといえる)

ex. 課題:新規顧客の開拓→戦略:新規顧客を開拓する(→何も言っていない)

可能な限り話を具体化する

戦略となると大きい話になりすぎてしまい、本来捉えるべき要素を外してしまうことが多い。課題の粒度は様々であるが、大きい課題に合わせてしまうと、小さい課題を逃してしまう可能性がある。

ex. 課題:モチベーションの低下→合宿をやろう!

→モチベーションが低いより具体的な原因が忘れ去られ、合宿を行うことが目的になってしまう。モチベーションが低いより根源的な問題は合宿を行うだけでは解決せず、合宿の中でもより細分化した要素を組み込まなければいけない。

他で使われている概念を抽象化し自らのケースに転用する

イデアを他から持ってくるということです。シェアリングエコノミーの概念を使えば全部それっぽくなる的なイメージです。

ex. Airbnb→民泊シェア→空いてるもののシェア→空いてる車の座席シェア→Uber

4. 実行の管理(実現段階)

最後に実行です。実行の時に重要なのは

  • コミュニケーション能力
  • 実行者間でのイメージの共有
  • PDCA管理

だと思っています。

コミュニケーション能力

非常に大きなくくりですが、考えたアイデアも人に浸透しなければ意味がありません。自分のアウトプットは周囲の人間を巻き込んでいくことが多いです。人を巻き込むためには共感を得たり、アウトプットの価値を理解してもらう必要があります。

コミュニケーション能力がなければ、アウトプットは上手く実行に結びつかず、絵に描いた餅となってしまいます。細かくは割愛ですが、とても重要です。

実行者間でのイメージの共有

やっている人が複数人の場合は、実行にしているうちに、そもそもの目的とずれていったり、できあがるもののイメージが人によってずれたりします。そういったことがあると、やり直したり、色々と手間がかかります。

達成する目的や完成するもののイメージを適度に確認し合うことが必要です。

PDCA管理

実行する上で週次、月次目標とずれてくることもあります。実行時にわかってきた障壁などがあるからです。目標と現状の乖離を確認し、一定スパンごとに見直しが必要になります。PDCAに関しては、これでもかというぐらい徹底的に、かつわかりやい本があるので紹介しておきます!

冨田和成『鬼速PDCA』

まとめ

上記のような構造でアウトプットを出していきます。良いアウトプットを出せる人はある程度、共通の思考の枠組みをしているんじゃないかと思っています。共通以外は経験に基づく第六感だったり、慣れによるスピードだったり、情報源の確からしさだったり、そういうところで差がついていくんじゃないかと。今回書いてみたのは、良いアウトプットを出すまでの流れの弱小版といったところでしょうか、、、笑

枠組に沿ってやれば、大きく出したいアウトプットから乖離することはないのではないかなと思います!

仕事ができるようになるには?(前編)

テーマ

今回は「仕事ができる」ってどういうことやねん!という話です。みなさんの周りにも仕事が早いと言われる人がいると思います。単に歴が違いすぎる(入社1年目と入社10年目とか)ではなく、そんなに年齢や経験の変わらない人の中でも、やはり仕事が早い・仕事ができる人っていると思います。どういう行動をすれば「仕事ができる」を実現できるのかを考えてみました。

自分は大学生ですので、「仕事ができるようになるには?」なんてタイトルもおこがましいですが、理論の上ではきっとこういうことなんだろうなと、そういう目線で見ていただきたいですw

今回のテーマはまとめて書くと少し長くなってしまうので、前編と後編に2回に分けて書きたいと思います!

結論

コストを減らすという面で仕事ができるようになるには、3つのことができます。

  • やることを減らす
  • やることにかかる時間を短縮する
  • やること同士の順番を変える

「仕事ができる」の定義を明確にした上で、それぞれに関して見ていきます。

仕事ができるとは

まずはしっかりと「仕事ができる」という曖昧な言葉を定義したいと思います。

まず「仕事ができること」を「高い生産性を実現すること」と言い換えたいと思います。生産性は以下のように表すことができます。

f:id:naotowatari:20170619153459p:plain

インプットに対するアウトプットが大きい(=アウトプットに対するインプットが小さい)人が、高い生産性を実現しているということです。

なのでインプットとアウトプット、それぞれの観点で高い生産性を実現する行動がありますが、この前編ではインプット側にフォーカスして書いていきます。後編ではアウトプットに関して書いていきます。

またもう一つここで前提として「達成すべき成果」の存在も忘れてはなりません。

達成すべき成果があって、無駄な/有益なインプット/アウトプットの概念が生まれるので、生産性を高める目的も、より高いゴールを達成するためと考えます。

インプットを減らすには

インプットは「投下した時間・労力」のことです。生産性を高めるには、ゴールを達成するという前提は崩さずに、使う時間や労力を減らしていけば良いということになります。

実際にやることは以下の3つです。

  • やることを減らす
  • やることにかかる時間を短縮する
  • やること同士の順番を変える

それぞれに関して見ていきます。

やることを減らす

やることを減らすとは「ゴール達成に必要のない/重要でないことを減らす」ということです。

学生や社会人の方々は、公私合わせて、日々のタスクに追われる日々だと思いますが、一旦自分のTodoリストを見て考えてみて下さい。

「本当にやるべきことは一体どれだけありますか?」

自分のやろうとしていることのうちの殆どがやらなくていいものです。友達との電話、買い物、ふと始めた部屋の片付け、何気ないSNS、必要以上に長いメール、目的の不明確なミーティングなどなど。それは本当にやるべきなのか、少なくとも「今」やるべきことなのでしょうか。

20:80の法則がここでも働いて、あるゴールの達成において、20%の行動が、成果の80%を規定していると思っています。要するに自分のやることの80%はほとんどゴールに影響しない(MAXで20%の範囲)ことなのです。

自分の20%の時間を振り向ければ80%の成果が出るのであれば、自分の20%を使うべき対象に使えているのかを考えなければ、圧倒的に非効率です。

プレゼンテーションを完成させるというゴールに対して、パワポのある1枚のスライドのフォント・写真選びにこだわって時間使うのであれば、まず大まかでも全てのスライドを創るのに時間使ったほうが、プレゼンテーションの感性というゴールに対して大きく働くということです。以下がイメージです。

f:id:naotowatari:20170619160745p:plain

達成したいゴールを考えながら、必要ないものを捨て、やるべきことに時間を集中させていきましょう。

やることにかかる時間を短縮する

つまりやるスピードをあげるということです。スピードを実現するには①慣れ②ツールの利用があります。

①慣れ

慣れはある程度時間がかかるもので、近道は余りないですが、PDCAを回すことを意識して、同じ失敗を繰り返さず、次を前よりうまく出来るようにしていくことが重要です。PDCAは今回の趣旨と少し離れるので、また別の機会に考えたいと思います。

②ツールの利用

PCには知らなかったけど、めちゃめちゃ便利なツールがたくさんあります。こういったツールは使うだけで、同じ作業を大幅に短い時間で片付けることができます。

ショートカットコマンドが一例です。

「Command + C(WindowsはCtrl + C)」でコピーができることはみなさん知っていると思いますが、これをショートカットを使わないでやると、対象を選択→右クリック→「コピー」を選択という工程を経ないといけません。

この要領でPCにはたくさんのショートカットツールあります。

・左右のブラウザタブの移動

・タブを閉じる

・アプリケーションを終了する

・ファイルの検索

・コピーの履歴作成

・アプリケーションの起動...

基礎的なのもありますが、これも全部キーボードで一瞬で行うことができます

これを使うだけで作業効率30%くらい上がると思います。

その他「単語登録」も良いです!

メールで「お世話になっております。」って毎回打ったりしますよね。毎回サイトにログインする度にメールアドレス打つのも面倒です。意外に手打ちだと長い、、、

それも全部単語として登録してしまえば、一瞬で出すことが出来ます。

メールであれば作成スピードが半分くらいになります。

その他にも前回紹介した「メモ書き」もそうです。

迷っている時間をなくし、大幅に思考を効率よく行うことができます。

このように知っているだけで、作業時間を大幅に減らすことができるものがたくさんあります。これを使わない手はありません。

やること同士の順番を変える

最後はやることの順番を変えることです。タスクって基本的に取り組む順番ってあると思います。特にプロジェクトワークなど、実行主体が分かれている時に多くあると思います。

その中で「他のタスクが終わっていないと取り組めないタスク」ってありますよね。

例えば、ある企画が他の準備は全てできているのに、上司(先輩)からのGOサインがでなくて、スタートできないことってありませんか。

このようにあるタスク(この例では企画のスタート)は、その前のタスク(例では先輩からの許可を得ること)の達成度に影響を受けます。

この場合は先輩のGOサインを何よりも優先して前もって、確認するべきなのです。

メンバーは先輩のGOサインが出ないと何も前に進めないため、無駄な時間を過ごすことに成ります。

このように取り組む順番を間違えると、無駄になる時間が発生してしまうことがあります。これはクリティカルパス(Wikipedia)の概念でよく説明されています。

正しい順番でタスクに取り組んでいくことで、無駄な時間をなくし、生産性を高めることが出来ます。

まとめ

以下の3つでより生産性の高さを実現することができます。

  • やることを減らす
  • やることにかかる時間を短縮する
  • やること同士の順番を変える

細かい概念やツールなどに関しては、紹介サイトとか記事とかあるので、ぜひ調べてみて下さい!社会で活躍されている方にもっと様々なグッドプラクティスを教えていただきたいですね。

 

わかった気にならない技術

テーマ

今回のテーマは「言語化の効用」です。大学生になってから聞いた意識高そうな言葉ランキングで安定した成績を誇りそうな「言語化」ですが、その重要性は日々実感しています。このブログを始めたのも言語化するためでもあります。

結論

この記事での言語化についての結論は

  • 言語化によって自分の思考の質量が高まる
  • 思考やアウトプットまでのスピードが上がる
  • 悩みや迷いが解決する

となっています。以下から詳しく見ていきます。

言語化とは何か

意外に「言語化」って言葉を「言葉にすること」以上に考えたりすることも少ないと思います。まず初めに言語化とはなんぞやということを定義していきたいと思います。

f:id:naotowatari:20170618104330p:plain

言語化は「感情や思考を言葉に変換し外部にアウトプットすること」です。ここでの外部内部とは「自分の内部外部」のことです。自分の内部とはつまり自分の頭の中です。

上記で図示してみました。言語化のプロセスを詳しくみてみましょう。

インプットの蓄積

言語化にはまず自分の中の知識や思考といったインプットが存在します。僕たちの頭の中には、これまで勉強してきたこと、感じてきたことなどが蓄積されています。ここで蓄積されているものは言語化されておらず、曖昧な存在として存在します。ふわっとした概念などがただよっているイメージです。

(頭の中で考えているときも言語を用いているじゃないか、という指摘もあると思うのですが、僕もそのへんはよくわかっておらず、このへんは言語学とか哲学で死ぬほど考え抜いてる人達がいるのでググったり本を読んでみたりしてみてください。今回はそう定義した、ということで大目に見て下さいw)

これが全てのアウトプットの材料ということになります。このアウトプットの蓄積を用いて僕たちは何かしらのアイデアや行動を現実にします。

言語のルール

ここで登場するのが言語のルールです。このルールはロジックによるフィルターの役割を持ちます。言語は外部に出す際に文法といった「言語のルール」が働きます。文法にはロジックがあり、何かを表現する際には、そのロジックがなければ表現することができません。

主語述語、5W1H、動詞・形容詞・副詞、因果関係、こういったルールに従って、文章に起こさなければ、自分の意図しているものを表現できません。

例えば、ある情景を思い浮かべ、それを説明する際にはルールにそって表現しなければ、その情景を説明することはできません。

「あの大きな風車の手前には、4匹の小さな牛がいて、干し草を食べている」

この1つの情景の説明の中には、様々な言語のルールが用いられています。

そもそも日本語というのも1つのルールですし、どんな主体がどんなことをしているという情報を、ルールに沿って統合し表現することが必要です。

このルールに沿って表現することができなければ、その情景を人に伝えることは愚か、言葉として自分が認識したということができません。視覚的に情景を認識したにすぎません。

ここに言語化の効用の本質があります。頭の中では抽象的で言語以外で思考されていたものが、言語を用いることで、一定のルールによって整理されるのです。

言語化の方法

実際にルールで整理されたものがある方法を通じてアウトプットされます。言語化の方法とはインプットの蓄積をアウトプットとして出す手段のことです。主に話すこと、書くこと(PCに打つことは書くことに含む)があると思います。この方法を通じて思考や知識を言葉に起こすことが出来ます。

それぞれのアウトプット方法によって特徴があるので、それは後ほどまとめていきたいと思います。

意味をもったアウトプット

これは結果的に生まれるアウトプットそのものです。言語化の方法を通じて、外部に出てくることになります。このアウトプットは何かしら自分の思考や感情を表現し、意味を持っています。

このようなプロセスで自分の思考は外部にアウトプットされていきます。次に言語化によるメリットに関して書いていきます。

言語化のメリット

思ってることを書いたり話したりするだけで、そんなメリットがあるんかい!と思うかもしれませんが、自分的には言語化は非常に重要だと思います。以下のようなメリットを自分は感じています。

  • ①いま悩んでいることが明確になる
  • ②次なる気づきが得られる
  • ③思考の時間が短くなる
  • ④自分の理解が確かめられる
  • ⑤長く記憶に残る 

①いま悩んでいることが明確になる

頭の中でもやもやして悩んでいることを実際に言葉に起こしてみると、思ったより悩んでいることは少なかったり、書き出してみると意外となんてことはない事が多いです。自分の頭の中で悩みを大きく感情的に解釈してしまっていたりするところを、言語化することで、客観的に捉えられるようになります。また言語のルールにそって整理されることで「誰が・何が原因なのか」「悩みの本質は何なのか」が明確になります。

②次なる気づきが得られる

人に自分の悩みを話していて「あれこの悩みって何が問題なんだっけ」「こうすれば解決するかも」って思った経験はありませんか?言葉にすることで気づきが得られるのは「オートクライン」という効果です。発した言葉は何かしら自分に影響を及ぼします。自分の言葉と行動を一貫させようとする「コミットメント効果」であったり、「自問自答」であっても自分の思考を促すことができます。

③思考の時間が短くなる

思考の時間が短くなるというのは、人間って考えているつもりでも、一向に思考が前に進んでいない時があるのです。これは考えているのではなく、迷っている・悩んでいる状態です。言語に落とすことで、何が思考できていて、できていないのかを客観的に確かめることができます。書き出してみて、出ないことは恐らくあと何分考えても出てこないので、新たな情報をインプットするしかないでしょう。

④自分の理解が確かめられる

「これの意味説明して」って言われた時に意外と説明に困ってしまうことがあります。これはわかった気になっている状態です。言語のルールに当てはめた時に説明できないということは、その概念が何を指しているのかが、正確に把握できていないということです。言語のルールに当てはめて説明できないものは、自分の頭の中から取り出すことはできないので、基本的に役に立たないです。(自分がその概念を使う先は常に外部にあるから)わかってるつもりになっているものを一旦言語化してみると、自分の理解が確かめられます。

⑤長く記憶に残る

喋った内容とかって忘れにくくなりますよね。書いたら記録として残るのはもちろんですが、言語に一度起こしたものは自分の記憶に入りやすくなります。

言語化にはこんな感じのメリットがあります。侮れないものが非常に多いです。言語化を習慣化することで仕事の質量・スピードも上がっていくと思います。

主な言語化の方法

それでは最後にどう言語化するか、具体的な方法をまとめておきます。

この3つの方法を紹介します。

 

#メモ書き

【目的】思考の整理。ロジックの深掘り。思考を全部出す。

【必要なもの】紙、ペン

【特徴】一番簡単なやつです。問題を整理するときに紙に書き出す人は結構いると思います。『ゼロ秒思考(著:赤羽雄二)』がメモ書きのメソッドをまとめているので、是非参考にして下さい。メモ書きをすることで「紙を脳の代わりにする」ことになります。こうすることのメリットは思考を「抽象・主観→具体・客観」に切り替えることができます。紙に自分の考えていることが全て現れるので「これは違うかもしれない」とか「意外に悩んでることってこれだけなんだな」とか、頭の中で考えるのと違った視点で自分の思考をみることができます。ロジックの深掘りとかも非常にやりやすいです。自分の知っている社会人の方は1日にA4の紙500枚分思考を吐き出したこともあるみたいです。そこまでやってくると「紙を脳の代わりにする」ことが可能になってくると思います。

 

コーチン

【目的】気づきの誘発。思考の拡張。

【必要なもの】話し相手

【特徴】コーチングは相手に質問を投げかけてもらい、それに答えることで気づきを誘発・思考を整理するという技術です。コーチングの良い点は「質問を自分で考えない」という点です。自分で質問を考える限り、自分の思考の範囲の域は出られません。考えもしなかった角度からの質問によって、思考を広げていきます。コーチングする側にも技術が必要になっていきます。一方は言語化して思考を広げる、もう一方は質問力を高めるって考えて交代でやればお互いにいい感じですね。あとは書くよりも話すほうが、自分的にはオープンな感じがして、印象や記憶に残りやすい気がします。コミットメント効果も高そうです。

 

#タイピング

【目的】思考の整理。記録。

【必要なもの】PC

【特徴】タイピングは見える形に言語化するという点でメモ書きと同じです。しかし自分的にはメモ書きとタイピングによる効果は違っていると思います。タイピングは思考がPCの表現の幅に制限されている気がして、思考の誘発を阻害している印象があります。文字の大きさとか列の配置とか、そのへんの自由が手書きよりも効かなかったり、思考と思考を矢印で引っ張ったり、図をくっつけることもできないので、少し不自由です。あとは自分たち学生はペンで文字を起こすことに慣れているので(PCを本格的に使い始めるのなんて大学生から)実際にペンで文字に起こすほうが、言語化している感覚が強く、効用を得やすいんじゃないかなと思います。PCだとローマ字を打っているので、言語のルールが変わる気もしますし。「打つ」ことと「書く」ことは違う動作ですから効果も違う所感です。タイピングは記録としてずっと残すことができるので、記録用としては適しています。荒くメモ書きしたものを整理してPCにタイプして残すなんて使い方がいいんじゃないかなと思います。手っ取り早さはメリットです。

まとめ

今回は言語化に関してまとめてみました。やはり頭で考えた気になっていることは往々にしてあります。頭の中で考えることと言語としてアウトプットすることには天と地ほどの差があります。これからは自分の考えたことを積極的に言語化してみてはいかがでしょうか!

ロジックの奴隷にならない

テーマ

今回は「自分の意志とロジックの関係」についての話です。

f:id:naotowatari:20170617104835p:plain

みんなが恐らく感じたことのある「納得するけど共感しない」という感覚とは何か、などに通ずる話です。自分や組織における意志決定の軸を見直す上で参考になれば良いと思います。

結論

今回の結論はこの2つに集約されます。

  • 意志が介在することにおいてロジックは手段であって目的にはならないこと
  • 自分(たち)のやりたいことを大事にすること

ではこの結論の背景を書いていきます。

納得するけど共感しない

納得するけど共感しない」自分のいた組織ではこの言葉が良く使われていました。
この言葉の意味は「言っていることの意味はわかるし、筋が通っていると思うんだけど、感覚的に何か違う気がして賛同できない」ということです。
納得するけど共感されない意見はほとんどの場合、論理がしっかり通っています。論理的に導けばそういう意見になるということです。論理が通っているので、反証ができない「論理的に正しい」意見です。しかし共感されないとはどういうことなのでしょうか。

論理の性質

では論理が通っているとはどういうことなのでしょうか。まずは「論理」の意味をネットで調べてみました。
=====================================
ろん‐り【論理】 の意味(出典:デジタル大辞泉
1. 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。
 思考の妥当性が保証される法則や形式。「論理に飛躍がある」
2. 事物の間にある法則的な連関。
3. 「論理学」の略。
=====================================
つまり論理とは思考を組み立てる方式のことで、論理を用いれば妥当性が保証されるということだと思います。
この論理の例は数学です。数学は問題に対して答えが1つ用意されます。この答えは問題文など前提条件が変わらない限り変わりません。誰が解くのか、いつ解くのかといった文脈に答えは影響されません。「1 + 1 」は誰が解こうが、いつ解かれようが、その答えは「2」です。
数学でなくても、自分の周りに起きている問題も、問題の原因を構造化し、現状を当てはめれば、自分が問題解決のために取るべき合理的な行動が決まるのです。
つまり論理を用いることで「誰にとっても妥当な答え」を示してくれるのです。これが論理の通っている意見がみんなに納得される所以です。
しかし自分はこの「論理」に固執することに対して警鐘を鳴らしたいのです。

ロジックの弊害

誰にとっても妥当な答え」とは魅力的に聞こえますが、これは逆を言えば「誰にとっても妥当ではない答え」ということだと思うのです。

個人はみな違っているにも関わらず、誰にとっても妥当であるということは、「個人に対して何も言っていない」ことと同じなのです。

ロジック至上主義に陥る人生は自分の人生を歩んでいません。合理的な決定は誰にでも下せるわけですから、それは他の人にも歩める人生だと言うことです。そんな人生を僕たちは誰のために生きるのでしょうか。

論理を通すことが目的化してはいけません。論理は問題解決や意志決定において、重要な観点や情報を与えてくれます。しかしそれ自体が僕たちにとって最も良いものであるというわけではありません。論理はあくまでよりより人生を実現するための手段でしかないのです。

それぞれの文脈で考える

ここからは個々の場合から、論理の果たす役割や注意する点を見ていきたいと思います。組織と個人の例をあげていきます。

組織(共通の目的がない場合)

組織の例:就活のグループディスカッションのグループ

この組織には共通の目的が存在しません。個々が目的を果たすために、チームが形として形成されているだけです。

就活のGDを例にとると、あのチームは個々人が「選考の通過」を目的にしています。なのでチームとしてどうなろうが、自分が選考に通過できればいい、そういうチームです。

そのチームで行う議論は論理だけが通っていればいいです。そもそも論理的思考力が選考の通過の要件としてあるのですが、それは今回のテーマから少し外れています。

大事なのは、GDにはチームとしての決定に責任は誰もないということです。

大抵の場合GDのアウトプットを誰かが実行するわけでもないですし、議論目的に集められているグループですから、個々がどんな人であるかとか、何がしたいかであるとかは関係ありません。このチームは論理の代弁者であるだけですチームの人が入れ替わったとしても(もし思考などの能力値が同じならば)生まれるアウトプットは変わらないでしょう。それが論理というものだからです。

この場合、納得は必要だけど共感は必要ないのです。

組織(共通の目的がある場合)

組織の例:学生団体、部活のチーム

上と変わって、次は共通の目的を持った組織です。団体として目指すものがある場合にはこちらのケースに該当します。

上との違いは「チームとして共有する目的があること」「"自分たちが"やりたいことがある」ということです。

この場合はチームで決まったことはチーム全員に影響を及ぼします。そのため、チームとしての決定には、全員に責任が伴います。だからこそ「自分自身の考え」を主張する必要があるのです。「自分自身の考え」とは「論理」ではなく、「自分が何を正しいと思うのか、何がしたいのか、何を大事にしたいのか」などの意見です。

こういったチームには「自分がやっていること」の意味があります。論理的に考えて、やったほうが良いから学生団体の活動をしている人なんていないでしょう。

論理なんて関係なく、何かしらやりたいことがあると思ったからやっているでしょう。

そういった論理ではない感情、考えが重要なのです。

もし論理にこだわるとどうなるかというと、まずあなたにとってあなたが活動する意味はなくなります。(やりたいこと=論理的な帰結の場合は除く)

そしてチームにとってもあなたが活動する意味もなくなります。論理は誰にでも妥当であるから、誰にでも用いることのできるものだからです。極端な話、機械でも変わることができます。

つまり目的のある組織から「自分のやりたいこと」「大事にしたいこと」を取り除き、ロジック至上の考えをした時、その組織は活動する人にとって意味を失うのです。

個人の場合

最後に個人の場合を考えてみましょう。

まず前提となるのは「自分の人生の責任は自分が取る」という考え方です。自分の人生で起きたことの責任は誰もとってくれません。自分がそれを引き受けるしかありません。

自分がロジックに従って生きるとどうなるか。その人生は「論理」にとって正しい人生であって、「あなた」にとって正しい人生ではありません。要するにその環境に置かれた人間ならば誰でも生きることができる人生ということです。つまり「あなたらしさがないのない人生」。極端に言えば機械でも生きられる人生。そういうことです。

ロジックを駆使して人に見栄を張ろうとしたり、自分の失敗を言い訳したり、自身の行動を正当化することなどすると思います。そうやって他人を納得させることはできます。しかしそのロジックに意味はあるのでしょうか。

自分の人生を引き受けるのは結局自分なのに、自分の決定や行動の正当性を他に証明することの意味などあるのでしょうか。他の人からしたら、あなたの人生の正しさなど、私には関係ないのだからどうでもいい、そう考えるでしょう。

別に友達が「おれ〇〇って考えるから起業家になるんだ!」って言っていて、その言葉に論理があろうがなかろうが、(ツッコミどころやFBはあるにしても)別にその決定に論理が通っていようがいまいが関係ないですよね。その人の人生なんだから、そこにロジックがあろうがなかろうが、やると決めたことをやればいい。と考えます。

だから自分の人生の選択に論理を通すことが目的となってはいけないと思うのです。論理が目的化した人生など誰にでも生きられる人生なのだから誰にも意味が無いのです。

論理はあくまで妥当性を高めるための手段であって、それ自体が目的化してはいけません。

自分が自分の理想を実現するために必要な行動を取れば良いのです。論理はそれを実現するための1つのツールにすぎません。

何をしたらいいか

じゃあどうするかというと

  • 論理抜きにして自分・組織のやりたい気持ちを大事にする
  • 自分・組織にしかできないこと考える

すごい単純ですがこういうことかなと思います。この2つがあって、初めて自分がやる意味が生まれます。他に変えが効かなくなります。

これが出来て「共感」が生まれるのではないでしょうか。結局論理では人も組織も動きません。共感があって初めて大きな影響を生み出していくことが出来ます。

これをないがしろにして生きてはいけないと思うのです。代わりに論理が生きてくれる人生など生きる意味がない。論理も何もないけど熱くなる、心高鳴る、そんな感情を大事にして生きたいのです。

組織では意志決定においてしばしば、「論理に固執して、決まってみたら誰もやりたくない決定だった」なんてことがあります。これは議論が就活のGDと同じになっているということです。自分たちがやりたいこと、今のメンバーだからできること、それを中心に考えていく必要があるでしょう。

まとめ

結論の繰り返しですが、

  • 意志が介在することにおいてロジックは手段であって目的にはならないこと
  • 自分(たち)のやりたいことを大事にすること

この2つを大事にしましょう。論理は強力ですが、油断をしていると自分を乗っ取ってきます。論理は性質を理解して「使う」ようにしましょう。あくまで自分の達成したいこと、やりたいことを叶える「手段」です!