まず書いてみよう

大学生が日頃の気付き、学びを気軽に綴っていくブログです!

最近感じた「生き方」について

テーマ

このテーマで書きたいと思い続けてから、一週間も空いてしまうという堕落ぶり。やりたいことはその日にやる癖をつけたいと思います。。。

今回のテーマは「自分がしたい生き方」についてです。以前「何に生きるかではなく、どう生きるか」ということを書いたことがありますが、自分の中で「どう生きたいか」について少し感じることがあったので、書いてみます。

結論

自分がしたい生き方は

  • 自分がしたいことに生きること
  • その中でも人との関わりや感謝を意識して謙虚に生きること
  • 紳士に生きること

だと感じました。では詳しくそう感じた経緯を書いていきます。

きっかけになった記事

最近たまに読んでいるブログがあって、そのブログの記事がちょっと考えるきっかけになりました。それがキングコング西野さんのブログです。中高生の時はテレビでよく見ていたので芸人としてのイメージがずっとありましたが、最近は絵本作家として活躍され、NEWS PICKSにも経営者との対談記事が出てきたり、ビジネス関係でも注目されるようになっていることを知りました。

ちなみにきっかけになったブログの記事はこちらです。

西野さんがある会社のCIOに就任したのですが、その会社側から失礼があったので、3日でそれをやめてしまった、という話でした。若干この説明だと不足している感じがあるので、実際に記事を読んでみてください。

一部「一度引き受けたことをやめるんじゃないよ」「我慢しなさい」という批判で炎上したみたいです。しかし西野さんの「スッパリ決める生き方がかっこいい」という風に評価する方も少なくないようでした。

やりたいことやって生きたい

西野さんの他の記事を読むと、西野さんは「自分のやりたいことだけして生きていけば良い。自分のやりたくない仕事を我慢して引き受けるなんておかしいことだ」という、とても真っ当なことを仰っていて、それを信条に活動されているようです。

とてもかっこいい生き方だと思います。自分もそう生きたいです。

こういう生き方には「そんな簡単じゃねえ!」「それができれば苦労しないんだよ。。。」といった多くの批判が来ます。でも西野さんは、こういった批判をする人は結局「自分のやりたいことに踏み出せない、弱くてビビってる人たち」とはねのけています。そういった批判は、自分にとって痛いことを突かれてしまったことに対して、自分の今までの生き方は間違っていなかった、自分が正しいと言い聞かせようとしている人の反応であると感じます。みんな自己矛盾や自己否定はしたくありません。ここに対しては自分はとても納得です。誰もがやりたいことやって生きたいです。

自分は少し違うなと思ったところ

でも少し自分はこうは考えないな、と感じる点もありました。先ほどの記事を読んで頂ければわかりますが、今回のCIO退任の件での相手方の対応を批判(というか芸人的にはツッコミ入れてるの範囲なのかも)していて、なんかちょっと自分は違和感を感じてしまいました。やりたいことをして生きることの範疇とは別だなという感情です。

僕は人のことを相手が決まりの悪くなる形で批判したり、人に対してリスペクトを欠いたことをするのが苦手です。人に自分から迷惑をかけたり、不快な思いをさせることって、シンプルにかっこ悪いと思うんです。それが別にどっちからふっかけたことであっても、たとえ相手が悪いとしても。

したいことをして生きるという信条の延長として、自分が批判したいから批判するっていうところまでは、自分はしたくないなと思います。

特に社会を引っ張っているリーダーたちは、もちろん自分の好きなことを主張し、自分の好きなように生きることは良いけれど、他者との関わりや自分が生み出す他者への影響を考えることが必要だと感じます。もっと紳士のように、映画『マイ・インターン』のロバート・デニーロのような懐の深さを持って生きたいです。

特にインドネシアに来てからそう感じるようになりました。包容力があり、謙虚で、他社に対するリスペクトを持ちながらも、自分の中で強い意思を持っている。そんな人に僕はなりたいです。

結局もっともっと世界で成功している人たちって、そういう人たちなんじゃないかなと思います。そういったたたずまいが無くても、持っている能力や思想で尊敬を集めることができるけど、一人の人間として尊敬を集めるのは、そういう他者へのリスペクトを忘れない謙虚な生き方をしている人なのではないでしょうか。

賛否両論ある人は結局世界の半分の人にしか共感されない的な。賛否両論無く、誰にとっても尊敬できる生き方はあると思うし、自分は他者をリスペクトし、謙虚に生きることが世界の多くの人に共感される生き方の1つだと思います。人間的に尊敬を集める生き方って、結構ユニバーサルだと感じます。自分はそっちの方の生き方をしていきたいです。

まとめ

色々な考え方を持って生きられている方々のブログや記事を読むと、共感できる点がたくさんあると同時に、違和感を感じる点もあります。それに間違ってる正しいとかはなくて、結局自分にとって幸せに素直に生きられる方を取るのがいいのでしょう。

相手を変えないと意味がない

テーマ

今日は「相手の行動を変えるフィードバック」についてです。これまで学生団体やインターンで人からフィードバック(以下FB)を受けたり、FBをしたりする経験が多くありました。つい最近自分の中でのFBの傾向が掴め、課題が見えたので、書いてみます。

結論

この投稿で言いたいことは、

  • フィードバックは意図や目的を持って行うべき
  • 相手の固まった思考を溶かして、再形成することを目指すべき

ということです。では以下から詳しく見ていきます。

フィードバックのそもそも

FBって言葉、大学入るまで全然聞いたことありませんでした。今でこそ当然のように使っていますが、本当に高校までは馴染みのない言葉です。FBはもともと、軍の用語で、大砲を飛ばした際に、弾の着地点が目標からどれだけ離れたかを伝えること、から始まったと言います。由来からFBのエッセンスを考えると「目標との乖離を事実として伝えること」だと思います。つまり「FBは目標達成のために行われるべき」であり、また個々の価値判断でFBするべきではなく、「目標に対して今どこにいるのかを客観的に伝える」ことがFBにおいて重要です。このように受け手の目標達成の補助を行うことがFBの目的になります。

相手の行動を変える

相手の行動を変えるためには、相手の行動の背景にある考え方や、価値観を①溶かして②再形成することが必要です。

①で相手がこれまでの自分の考え方や、思いの誤りや不十分さに気づき、変化できるマインドをつくります。自分の考えが正しい!って思い込んでいるうちは、その人の行動を変えることが出来ません。まず現在の相手の行動の誤りに気づかせることです。そしてその誤りを受け入れて初めて、変化の準備ができます。

②では自分の誤りや不十分さに気づいた後に、今後取るべき正しい行動が何かを提示することです。自分のこれまでの行動が間違っていたと気付いたら、では今後どのように行動を改めて行ったら良いのかということになります。その後は、こういう行動が正しいようだ、では今後はそういう行動をしよう、という流れです。どうしていいかわからなくなった後に入ってくる情報によってその人の行動が再形成されます。

FBの目的は、この①②を行うことによって、相手の行動を変え、相手が達成したい目標を達成できるようにすることです。

溶かすけど再形成できないFB

つい先日、知人に「(あなたが)言っていることは正しくて、異論を挟むことはできないんだけど、自分がつまづいている理由を解消できないと、結局行動を変えることができない」と言われました。例えるならば、「悩んでても仕方ないよ。もう悩むのはやめよう。」って言われても「それが出来ないから大変なんだよ」と言いたくなる的なことです。

つまり自分がするFBは①ばかりになってしまい、相手が自分の今の状況が良くないということを認識するマインドを作ることはできていますが、②の再形成ができず、結果的に目的を達成するための行動を取ってもらうようにできません。マインドが作れても、じゃあそのあとどうやって行動を変えていく?っていうところに、あまり何も言えていないなと思うようになりました。

なんでそうなってたのか

こうしたほうがいいっていう「あるべき行動」が自分はとても良く見えます。やんなきゃいけないことができていないのは、色々な理由があるんだろうけど、結局は自分の努力不足なんじゃないか、と考えることが多いです。それを相手に納得してもらうように、論理を組み立てて、喝を入れる的なことばかりやってきました。自分の目線からは「あるべき行動は、やるべきという理由だけで、他の理由なくとも取れる/取るべきもの」だと考えていたため、「まずあるべき行動できてないじゃん!」っていうFBをするだけで十分だと感じてしまっていました。しかしそれでは相手の行動を変えることができないことも出てきてしまいます。

相手を目的達成に導くFB

まず相手の意見を溶かし、受け入れるスタンスを作ることがスタートです。(①)その次に再形成のフェーズですが、これまで出来てこなかった理由の深掘りと、個々の理由の改善行動を出せるようにすることが必要です。(②)相手は今の状況を心のどこかでは良くない、と認識している訳であって、その状況になっているのは何か理由があってのことです。

例えば、今締切が迫っている企画書の提出があるんだけど、企画書の作成が進んでいない人に対して、「締切までに出さないとダメだよ!」って言っても、他のこととの優先順位で出来ていなかったり、企画書作るための能力や情報が不足してるんだけど周囲に聞ける人がいなかったり。そういった「出来てないのヤバいよFB」では、企画書を作って提出するという目標に対して、プラスに働きません。この場合では、優先順位の付け方に対してや、作成できる環境づくりに対しての状況までFBを行う必要があります。

そこまで見ないと、結局「今のままじゃヤバイことはわかってるけど、結局どうしたらいいかわからん!」っていう心の落ち着かない状況に相手を放置してしまうことになります。自分はこの面のFBをあまり行ってこなかったということを認識しました。

 

まとめ

今回は相手の行動を変えるためのフィードバックについてでした。今後は相手の考えを溶かした後に、どうやって行動を変えるところまでサポートできるFBができるようになるのか、が課題です。広義のFBとして「こうした方がいいのでは!」ということをより強化して言えるようになることをもっと意識していきます。

中身をつめること

テーマ

今回は「選択を目的化するな」という話です。就職活動の時にはすごくこの考え方をしていたなと少し反省しており、ジャカルタに来てから更に「意思決定することが目的になっていて、意思決定した内容の中身を詰めることの重要性を忘れている」と感じるようになりました。そんな内容を書いていきます。

結論

この投稿で言いたいことは

  • 意志決定に時間をかけず、中身を詰めることに時間をかけるべき
  • 日々の努力を何よりも大事にすべき

ということです。では具体的にどういうことか書いていきます。

こういうキャリアを歩みたいですの落とし穴

外資コンサル行ってMBA行って起業したいです!」って自分の大学界隈の人から良く聞きます。僕も言ってました。華のあるキャリアです。最近良くビジネス本を出している人なんてまさしくこのキャリアだと思います。

僕も就職活動のときに、自分の将来の理想に対して、どういうキャリアパスを作っていけばいいんだろうって良く考えていました。このことを考えること自体は非常に重要だし、誰しも必ず思考する道です。この会社でこういう仕事して、このスキルとこのスキルを身に着けて独立しよう!みたいな。

しかし最近になって、キャリアにフォーカスしすぎると、大事な考えが抜け落ちてしまうと考えるようになりました。

選択が目的化する

抜け落ちていることとは「表面上の決定のみに注目してしまい、決定をどういう風に実現するかが考えられていない」ということです。そのキャリアを歩めば、こういう能力が身につくよね!っていう前提になっているけど、それってほんとにそんな上手くいくの?その仕事するだけで、本当にそんな能力身につくの?って考えられているのでしょうか。

キャリアパスだけを考えると、自分が努力して得るという視点が弱くなると感じます。そのキャリアパス通りに表面上は道を進めたとしても、本当に自分の理想にたどり着くのでしょうか。僕はそれぞれの選択でそもそもどんな意識を持って働かなければいけなくて、どうやって働くのかを考えることが重要だと思います。

これまでの学生団体でもよくあったのが、めちゃめちゃ時間かけて、やっと決まった!っていう意志決定を結局実行しないっていうことです。何のために時間をかけて決めたのだろうか、と思います。

大事なのは決定の中身ではなく、決定を如何に行っていくのかです。自己や組織における意志決定にダントツにベストだといえるものは少なく、大体はグレーな意志決定が多いです。

キャリアでも意志決定でも、決めること・選ぶことが目的になっている。そういった意志決定において重要なのは、決定内容ではなく、決定したことをどうやって目的達成できるように行っていくか、だと思います。

日々の努力でしか無い

そしたら結局自分は何をすべきか、ということは日々の努力にしか落ちてきません。毎日の目標を確実に達成する。そして毎日5%でも1%でも自分の限界を広げていく。これに尽きるんだと思います。インドネシアに来てからは、これまでの自分がどれだけ、日々目標を立て、それを達成することが出来てこなかったことを思い知らされています。

成長は筋トレみたいなものです。負荷をかけて徐々に自分のキャパシティを高めていく。これが複利みたいになって、長期的に見ると大きく成長する。結局成長を生み出しているのは日々の行動であって、その行動がしっかりできるようになっていかない限り、成長することはないと思います。

これまで大きく勘違いしていたのは、すごい人って面白いエピソードを持っていたりする。だから自分もそういうエピソードの1つや2つ持ってる人間にならないと、と思っていたことです。これは大きく間違いでした。すごい人は確かに面白いエピソードを持っていることが多いです。しかしそういったエピソードを持てるから成功しているわけではない。

そういったすごい人ほど、日々の地味で細かい努力を怠らない。そういった日々の目標達成のための努力によって成長し、たまたま面白いエピソードで象徴されたりするだけであって、面白いエピソードがその人をすごい人間にしているわけではない。結局つまるところ日々の努力です。

選択をしたら、あとは日々の努力。理想の実現への道はすごくシンプルで、その地味なことができない人は決して理想を達成することは出来ません。

まとめ

選択・決定そのものを過度に囚われるのではなく、決定の実行のための日々の努力により心を砕くべきです。つまらない結論だけど、つまらない結論だからこそ、確信ができる気がしています。日々の努力からしか自分たちの成長や、理想の実現は成し得ない。そのことを忘れずに努力を続けていきたいと思います。

ジャカルタまなびーず

テーマ

インドネシアに来てから3週間が経ちます。そこでこっちに来てから思ったこと、学んだことが細かくバラバラとあるので、ハイライト的な形で書きたいと思います。FBとアクション改善のサイクルが日本にいるときよりも早く回るので、とても色んな気付きを得ることができます。

めっちゃ頑張るのは前提

インドネシアに来るまでは、あんまり無理せず、効率よくやろうっていう考え方でした。「いや世界のCEOも7-8時間寝てるじゃん!」的なことをよく言ってました。こっち来てから思うようになったのは、効率高い上でめちゃ頑張ればもっと周囲より早いスピードで成長できるじゃんということです。単純に労働時間を増やすという方針は重要だと感じます。(体調管理できるようにセルフマネジメントすることは前提)

集中して取り組むことによる学習スピードの向上したり、単純に仕事が前に進みます。スピードは様々なプロジェクトにおいて価値になっていて、早いことそのものに価値がある。自分は体力ないので忘れがちだけど、気合い入れて頑張るっていうのは、コンディション悪くなる代償にしっかり価値は生み出していると思う。

それにそれができるのは前提で、本当に重要なのは、めっちゃ頑張って何をしているか。如何に頑張った時間を価値に変えるか、そこにフォーカスして、もっとも成果を生み出す方法を模索する部分で戦うべき。

新しいことに取り組むとこれまでの景色が違って見える

インドネシアに来てから、オンラインのプログラミング学習サービス「Progate」をやったり、デザインの基礎に関する勉強をしたり、これまで自分が取り組んでこなかったことに挑戦しました。それらに挑戦したことにより、アウトプットを見る時に違った視点を持てるようになったことに気が付きました。

具体的には、プログラミングを勉強したことによって「こういうWebサイトはこうやって作ってるんだろうな」とか、「こんぐらいまで出来るようになったら、クラウドソーシングで働けて、自分の力でこれぐらいは稼げるんだろうな」とか、普段持っていなかった観点によって物事を考えたり、アウトプットを見るようになりました。

きっと今後も自分の中で新たな領域への知識や経験を積むことで、更に異なる観点を持つことができるようになります。様々な観点を持つことで、良いアウトプットを出すことが出来ます。

とりあえずやってみるのが良い

これは実際には人のフェーズにもよると思いますが、何かやってみたいとか、やったほうがいいとか、人に頼まれたとか、色んなことを理由とかあんまり考えなくてもいいので、ひとまずやってみることがいいと感じました。

ひとまずやってみると良いと感じた理由は

  1. 自分が無意識的に避けているタスクと向き合うことが出来る
  2. 業務が増えることで、効率良い方法を模索する必要が生まれる
  3. 人から仕事を任され、成功すれば信頼されるようになる

という点です。特に1は自分としては重要だと感じます。やりたくないものは割けてしまう傾向がありますが、自分は頼まれたら断れないタイプなので、誰かに頼んでもらえれば、「やったほうが良いのはわかってるけど、取り組みにくい」っていう業務も、取り組みやすくなります。

まとめ

今回はジャカルタでの3つの気づきに関して書きました。こういった学びは継続して、行動に移していくことが重要だと感じます。 一つ一つ小さな行動から変えていき、日々1%でも成長していくことを意識していきたいと思います。

じぶんごとにする

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今回は「ゴールへのオーナーシップ」についてです。最近は人材としての人の評価はこの「ゴールへのオーナーシップ」が最も重要であると感じることが多いです。思考の整理が少しついたので書いてみることにします。前回の「強み」に関する記事では、整理しながら書いてたら意味不明になってしまったことを反省して書きます。

結論

今回の投稿で伝えたいことは

  • 組織や自分のゴールを達成することにオーナーシップを持つこと重要である
  • そのオーナーシップが組織や自分を更に成長させる鍵である

ということです。

ゴールへのオーナーシップとは何か

まず初めに「ゴールへのオーナーシップ」とは何かをしっかり定義したいと思います。僕はゴールへのオーナーシップを「自分の立場は関係なく、決めたゴールを達成することに対する当事者意識」だと考えています。

オーナーシップそのものは意識ですが、オーナーシップを持っている人間には行動が伴います。ゴールへのオーナーシップを持っている人間とは、ゴールを達成するために、決めたこと以上に自ら考え行動ができる人間です。

「自分は下っ端だから」「自分とは違う部署だから」といった立場で、自分自身や自分の所属する組織が達成すべきゴールから目を背けていることがゴールへのオーナーシップが無い状態です。

組織のゴールを達成するには、立場なんて関係ない、ゴールを達成するためにできることを自分で考えてやろう!と考えて行動できることが重要です。

なぜゴールへのオーナーシップが重要なのか

ではなぜゴールへのオーナーシップが重要なのでしょうか。それは①組織と②自分を大きく成長させるからです。

組織を成長させるオーナーシップ

メンバーがオーナーシップを持っている組織は、必要な行動が自発的に生まれていく組織です。決められたことをこなすだけではありません。もしまだゴールが達成されていないのならば、もしゴールを達成するためにそれが必要ならば、その行動が取られていくことに成ります。

また、ゴールを目的にした組織が作られることによって、メンバー全員が活動の目的を「ゴール」に統一して話すことができます。それによって、個人的な状況とか感情とか、そういったことで話がずれることなく「組織のゴールは何なのか?それは達成されたのか?」その一点で話すことが出来ます。組織全体が本質的な部分に集中できることが組織にとっての成長を生み出す鍵になります。

自分を成長させるオーナーシップ

オーナーシップは個人の成長にも大きく影響します。ゴールに対してこだわる過程で、成長圧力が生じます。自分の能力以上のことでも、ゴールが達成されなければ、もっと努力しなければいけません。

そういった状況は自分のチャレンジに対する障壁を下げることになります。ゴールに対するオーナーシップが無く、決めたことをやるだけの状況だと、取り組みやすいことばかりに終始してしまいます。しかしオーナーシップがあれば、「自分の得意なことをやっても達成できなかった。じゃあこれまでやってこなかった苦手なあれにも挑戦してみよう」という思考ができるようになります。

ゴールが達成していない限り、色々な手を尽くすことになります。その過程で、自分の中の課題やくだらないプライドなど、そういったものに邪魔されている場合じゃないという高い視座を持つことになり、自分の課題を越えていきやすくなります。

自分の現在の課題

今もこれまでも自分に足りていないものは、ゴールへのオーナーシップだと思います。成果を出すことにこだわれず、中途半端な結果を出し続ける。それでも、そこから学びや得るものがあったから、それに満足してここまで来てしまいました。

でも決めたゴールを達成できないことは、人に迷惑をかける的な意味で問題、とも言えるのですが、何よりも「自分の成し遂げたいことを実現できない」ことが問題だと思います。

理想を描いているのに、そのゴールの達成にこだわることができなければ、理想を描いて、それを追っている意味がなくなります。

自分がこれまでオーナーシップを持っていた時は、いつも立場によるオーナーシップに過ぎないことが多かったです。責任とオーナーシップは別で、オーナーシップは本来責任の無いことにまで責任を持てること、と言えます。

これまでは「目標が悪い」とか「目標にワクワクしない」とかで逃げてばっかりです。最近は自分がそうやって逃げてきたことを認めて、「目標は何でも良いから達成を目指して達成するもの」と自分の中でリプリントしようとしています。

その結果、やるべきことは「日々の目標をしっかりと達成していくことであり、成長とはその繰り返しでしか無い」という考えを持つようになりました。オーナーシップを今後高めていくよう努力します。

まとめ

今回はゴールへのオーナーシップに関して書いてみました。ゴールへのオーナーシップは組織や自分を成長させます。自分はどこの範囲までオーナーシップを持てているのだろうか、と常に問うことは非常に重要です。ゴールへのオーナーシップを高め、実現したい理想を達成しましょう。

強みってなんだっけ

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今回は「強み」に関してです。自分の強みは何かと、多くの人が考え、問い続けていることだと思います。最近「強み」に関して、すごく思考停止していたなと感じたことがあったので書いてみます。

結論

この記事で言いたいことは

  • 社会における強みを作ることを考えて自分の経験値を振る
  • 強みは相対的なものであるので、自分が強くあれる環境を選ぶこともできる
  • 個性として強みも相変わらず重要であるから自己分析は怠らない

ということです。まだ自分の中でも「何が言いたいの?」がクリアではありませんが、書き進めていく中で明確にしていきたいと思います。

自分の強みがわからなくなりました

インドネシアに来てから自分の強みが良くわからなくなりました。僕がこれまで強みと考えていたものは、普段自分が所属する組織、居場所の中での強みであって、周囲の環境が変わった時に、自分の強みは強みで無くなる事があるのです。強みは相対的なものだからです。

特に自分は人の感情理解とかコミュニケーションとか、そのへんで力を発揮していたはずなのですが、インドネシアに来てからは、初めて会う人が多いとか、英語で自分の言いたいことが言えないとか相手の言ってることがわからないとか、そういうことが多いです。そうなってくると「あれ、自分の強みってなんだっけな」って思い始めました。

これ以外でもわからなくなっています。今は先輩の元でお手伝いをしています。先輩は営業だったり、開発だったり、デザインだったり、プロジェクトマネジメントだったり、何でもある程度できます。あれそうすると「あれ、自分って何もできなくね?」ってことを改めて自覚します。また先輩の場合、そういったスキルが今の事業を行う上で活きていると言います。つまり何でもある程度できることが強みということです。「え、そしたらオレって強みなくない?」強みって相対的で誰にでもあるものじゃないの。強みってそもそもなんだっけ。

社会で戦うための強みは絶対的でもある

ここでなんとなく気づきます。強みって相対的であるけど、その強みってあくまで「個性」とか「性質」的な話なんだと。パーソナリティに優劣は存在しない。社会における強みは「個性」での話では無く、「持っているスキル・能力」のことなんだと。つまり強みという言葉でも。

スキルや能力には確かに優劣が存在する。社会における強みも相対的なものだと思って、努力を止めてはいけない。みんなが100ある経験値をその中で割り振ってるわけではないんだ。経験値は1にも1000にも100,000にもなる。努力している人は経験値をどんどんと高めている。つまり自分に強みがないという状況も十分にありえるということだ。自分にはまだ経験値が足りていない。

労働市場における強みは「分野」×「分野」

教育改革実践家の藤原和博さんが人材の価値は「分野」×「分野」の掛け算で表せるという話をしていたのを思い出します。持っている分野の専門性をかけ合わせてその人の価値が決まるということです。これを3つの分野で専門家になれば100万人に1人の人材になれるというお話をされていました。

この分野っていうのがつまり社会における強みのことなんだと思います。社会に対して価値を発揮できる領域のこと。これを多く持っていると、その掛け算で価値が上がる。この専門とは営業開発人事など職種的な分野と、学問的な分野、趣味の分野などが考えられます。専門性を持っているということは社会に価値を生み出せるということ。

自分には今専門的な領域がない状態です。強いていうならば、中高6年間投資した卓球ぐらいです。実力的には全国大会には出ていない中級者くらいなので、社会に価値は全く生めていないでしょう。(特にスポーツ・趣味は価値を生むのが難しい領域だと思います。)今後はこういった専門的な分野を獲得していかなければいけない。

選ぶ分野そのものが価値になる場合もある

選ぶ分野には分野そのものに価値があることもあります。例えば日本において人工知能領域の専門家は足りていないと言われます。人工知能の専門家は今や引く手あまたです。(もちろん習得が難しいなどの理由も存在すると思いますが)もし同じ時間を何かのスキル獲得に投資するならば、求められている分野・将来性のある分野に投資したほうが、大きなリターンが返ってくることになります。

つまり自分の限りある時間をどの分野に投資するべきかというのは非常に重要な問です。同じ時間を投資しても、結果社会から求められる度合い・社会に生み出すことのできる価値は変わってきます。

戦う市場を変えるという話

専門性の価値も、評価される市場によって変わってきます。全ての人材が共通の市場で判断されているわけではありません。市場の中での比較の中で自分の強みは変わることになります。例えば、日本で日本語が喋れることは価値になりませんが、海外で日本語が喋れることは、日本語教師や日本語の翻訳家などとして価値を生み出すことが出来ます。日本語を求めている人が海外にいるにもかかわらず、海外には日本語を喋れる人は少ないからです。

パーソナリティも結局重要

最後に個性に戻ってきます。じゃあパーソナリティとしての強みはどうやって扱えば良いのでしょうか。これは投資する専門性を選ぶ1つの基準として扱えばいいと思っています。集中力が高く、何か一つのことに没頭できるのであれば、そういった個性と相性がいい専門性を選べば良いし、マメな人はマメさと相性がいい専門性を選べば良い。

自分の性質と合っていない専門性・分野を選択して失敗するケースも少なくないので、やはり自分のパーソナリティとしての強みを理解することは非常に重要です。

他にも個性としてのコミュニケーションやリーダーシップスタイルに影響を与えると感じます。人と関わる時にどんなコミュニケーションが取れるのか、どのように組織を引っ張れるのかそのスタイルはパーソナリティに由来すると感じます。専門性があっても、コミュニケーションが上手く出来なかったり、リーダーとしてチームを率いることができず、分野が価値につながらないないこともあるように感じます。
社会で価値を発揮する上でコミュニケーションやリーダーシップは欠かせないと思うので、やはり自身のパーソナリティを理解することは重要です。

まとめ

相対的とか絶対的とか難しい言葉を使おうとした結果、言いたいことがよくわからなくなりました。強みと価値って言う言葉も途中からごっちゃになっています。笑

結局言いたかったのは、

  • 社会における強みは自分で作らないといけない
  • 自分の個性や成長分野などを考えて自分の経験値を振る
  • 個性は重要だから自己分析は怠らない
  • 自分の戦う市場を考えることも大事

っていうことでした。自分の強みを身につけるべく、しっかり努力したいと思います。

限界突破を考える

テーマ

前回の更新から一ヶ月以上間が空いてしまいました、、、テスト→出国準備でブログの優先順位が下がってしまいました。知っている方もいるかもしれませんが、現在はインドネシアジャカルタに滞在中で、ジャカジャカする毎日でございます。

今回のテーマは「限界突破」という話です。なんで私がジャカルタに来ることになったのかも交えて書いていきたいと思います。

結論

この投稿では

  • 自分の根幹の部分を変える限界突破は簡単ではないということ
  • 短期的にはどんな理由があろうともやりきること
  • 行動のあとに得たいものが来るということ

ということを言っています。内省メモみたいな側面も強いので、少しよくわからないポイントもあるかもしれませんが、お付き合い頂ければと思います。

なぜインドネシアに来たのか

現在私はインドネシアジャカルタに来て、現地で会社を起こして事業を行われている大学の先輩の元でお手伝いをしています。

そもそもインドネシアへ来た目的は何かというと、

「将来的に自分でビジネスを起こすために、スタートアップを知ること」です。

自分でやろうと思う前に、まず実際にその環境に行ってみようという考えでした。(ここで実際に「自分で会社を起こす」という行動になっていないところにも、この投稿の内容に関係があります。)その他にもビジネスを行うために必要なスキルを得ることや、海外で働くということにも興味がありました。

しかしもう一つ目的があります。それがテーマである「限界突破」です。

今の自分にはスキルなどは無く、身につけるべきものは多くあると思っていますが、それらよりも、そもそも自分には限界突破が必要と感じています。

限界突破とは何か

いや限界突破ってなんやねん!って話です。もっと噛み砕きましょう。

限界突破には2種類あります。

  1. 肉体的限界突破
  2. 精神的限界突破

①肉体的限界突破

これは体力の限界とか体の疲れとか、睡眠とかそういう、本当に越えたら病、死に至るかも知れないやつです。俗にいう「エグる」的な意味での限界突破です。

②精神的限界突破

これは心理的な限界を超えるものです。

例えば

  • 得体の知れない虫を食べる
  • 服を着ないで逆立ちして校庭を一周する

的な「これまで無理だったもの・苦手だったものに挑戦する」「恥を捨てて行動する」ことなど、心の障壁を乗り越えていくことです。上の例は結構極端ですが、嫌いなピーマン食べることも限界突破です。

僕はこの①②の限界突破でも、特に②精神的限界突破が必要だと考えています。人目気にしてできないこととか多くあります。苦手なことも多くあります。①は体調を壊さない程度にします。

なぜ限界突破が必要なのか

私は自分がどういうタイプの人間か良くわかっているつもりです。そこで自分は気付きました。それは「自分は社会に大きな影響を起こせるタイプの人間ではない」というです。

私は何事もぼちぼちできるのですが、裏を返せば何も出来ません。これまで中学高校大学振り返っても、何も圧倒的な成果を残せたことはありません。

大学になってから、社会に影響を生み出している人のお話や本から、その人達の人となりを知るようになりました。僕はそういった影響を生み出す人の特徴を以下のように思っています。

  • 結果を出すことに圧倒的なオーナーシップを持っている
  • 何事にも全力で取り組む
  • 諦めない
  • 強い価値観と独自のこだわりを持っている
  • 絶対的な熱量を持っている

それに対して自分はそういった特徴を持ち合わせていません。

  • 結果と向き合うことから途中で逃げ出す
  • 好きなことにさえ8割ぐらいで取り組む
  • 見込みがなくなったら手を引く
  • 人に迎合する
  • ポジティブな動機ではなく、義務感や責任で動きがち

この中には個性として受け入れてしまえるものもあります。

それに帰納的に考えたところで、自分が成功できないことの証明はできません。

でも結構納得するんです。自分はそういうタイプではないということに。

上で挙げた要素が非常に重要で、結果を残すために必要だということは、学生団体の活動でとても感じていましたし、これ抜きで大きな結果を残すはできないと思います。

まだ自分は全然個性とか割り切っていいほどの努力をしていないという自覚があるのです。この努力こそが本当の意味での限界突破です。そのためにジャカルタに来ました。

なぜ限界突破出来ていないのか

これまで限界突破が出来ていないのは何故なのでしょうか。正直繊細な分析は出来ていません。なんかすごく単純になんですが「気合いが足りていない」んだと思います。

精神論かよwって思いますが、それ以外にしっくり来ません。細かいロジックを組み立てようとしている時点で、限界突破したくないモードに入っています。

その対象に自分の人生をかける気がないから、そんな努力ができないとか言おうと思えば言えると思うんですが、そう言い始めたらいくらでも言い訳できる気がするんです。人生をかけていい感覚なんてそもそも存在するのかも疑わしいですし。

だから結局は

  • 本当は頑張りたくない
  • 人は人、自分は自分でいいと思っている
  • 本当の意味で人を背負っていると感じていない
  • 覚悟が決められない
  • 周りの人々への感謝や責任を感じていない
  • 本気でやって負けたくない/自分の弱さを認めたくない

などが理由で限界を越えられていないのだと思います。

別にそういう人間でいいんじゃないの?とも思うことはあります。

でもそんな自分に鞭打ってでも、良い社会は作りたいんです。自分がこれまでの人生で経験してきたこと、受けてきたこと、見てきたこと、それは美しいし、価値があるし、これからも守られるべきものです。それが失われることを傍観することは自分の思いに反する行動だし、自分自身が奪われることも避けたい。そんな感じで自分の限界をどうにか突破させていきたいです。

これから何をするか

じゃあ結局どうやって限界突破できていない現状を越えていくのか、ということなのですが、中々答えが出ません。結果を出すための細かい方法論は出せるのですが、それは自分の言う「限界突破」とは違う気がするんです。自分の中の限界突破はもっとプロセスの的な、価値観や動機そのものを変革するみたいな話です。

自分の中で最近たどり着いたことが2つあります

①短期的にはどんな理由があろうともやりきること

短期的にはどんな理由があっても頑張らないといけないんです。さすがに10年間やりたくないことに100中100の努力をし続けるみたいなのは難しいと思うんですが、それこそ数ヶ月とか1年とか、それくらいの期間だったら、それを本当にやるべきならば、義務感や責任感100でもやりきなければいけないんです。動機が無いから頑張れないというのは甘え。そもそもやりたいことですら100で頑張ってこれなかっただろ!っていう。

色んな細かい手を使って、仕組み化して、飴とムチして、モチベーション1.0でも何でも良いからとにかく自分をマネジメントする。それをしたいと思います。

まずやり切らないと何も始まらない。

②行動のあとに得たいものが来るということ

だいたい自分の欲しいものは自分がしたくないと思った先にしかないということ。その行動がしたくないからと言って、その行動をしない限り、その先にあるものは一生手にはいらない。また「その先にある得たいものが得られるものが得られるかわからないから」というのもナンセンス。やってみなければわからないし、得られるかどうかは自分の行動次第で決められる。自分が得る気で頑張れば良いだけ。

精神論と言えば精神論ですが、このことを理解しているかどうかが、苦しい時に頑張る理由になります。もちろん方法論でもしっかりカバーしましょう。

まとめ

限界突破は難しいです。ジャカルタに来て2週間弱ですが、限界突破するどころか、思ったより居心地の良いジャカルタに馴染みかけてしまっています。いつも自分は自分の限界の7-8割の運転をしようとしてしまいます。海外滞在では自己管理が非常に重要なので、管理の伴わない限界突破は問題なのですが、今の状態は問題ありです。もっとこの2ヶ月は苦しくあるべき。たった2ヶ月しかありません。この期間さえ頑張りきることができなければ、将来何も出来るはずがありません。頑張りたいと思います。