まず書いてみよう

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まだ命をあずけるほどの友達ではない

はじめに

人間の進化は人間の生存本能や倫理観に逆らっては生じない」んじゃないかなーという話です。

最近テクノロジーの発達や普及によって、様々なサービス、プロダクトが生まれてきています。そもそも人間の進化とは、個体の進化ではなく、道具の進化のことです。人間は自らの能力を道具と理性によって増強させ、食物連鎖のピラミッドを駆け上がっていきました。

人間の進化が道具の進化だとすると、さらなるテクノロジーの発展は人間の進化を押し進めているということになると思います。

どこまで進化するのか

じゃあこの進化はどこまで続くかということなのですが、理論的にはどこまでも神回していくのではないでしょうか。AIといった圧倒的な処理能力をもたらす技術が汎用的に利用されるようになります。大体の人間活動ってパターンや確率、数字に置き換えられてしまうので、人工知能がその強みを活かして色々やってくれると思います。

最近人間ここまで来たかっていう興味深い記事をよく見かけます。理論的な実現可能性はわかりませんが、なんか結局全部実現するんじゃないって思います。きっと全部時間の問題です。最近印象的だったのは以下の話です。

可能性としては進化はどこまでも行くということ。しかし進化も全方位的に起きているのではなく、何らかの方向性やルールを持って起きているのではないでしょうか。それは何なのでしょうか。

タケコプターが欲しいか

先日空飛ぶ車の記事を見て「人間ここまで来たか」と思いつつ、ふと「タケコプターできたら使うかな」と考えました。子供の憧れです。圧倒的に便利でしょう。しかし僕は使わないと思ったのです。なぜなら

  • 絶対頭から取れるやん
  • それで死んだら死にきれないな
  • そこまで機械を信用できない
  • 冷静に頭がついてかない

こんなことを思ってしまったからです。要するに技術に自分がついていっていないのです。確かに夢があるんだけど、実際にリアルで自分が使うとなったら、あの高さをあの小さな機械だけで飛ぶということに恐怖を感じました。加えて最近ドローンの普及や空飛ぶ車の開発などを見ていて

  • 頭上に鉄の塊が常に飛んでいるのは正直怖い
  • 怖くて外出たくない
  • 青い空が見えなくなるの正直耐えられない

こんなことも思います。繰り返しますが、技術の進化に自分がついていっていないのです。これってどういうことなんでしょう。この感覚はなんなのかタケコプターとドローンの話に共通しているものは「死への恐怖(≒生存本能)」だと思います。

  • あんな小さい機械に命は預けられない
  • 空飛ぶ車が落ちてきたら

技術の発展と共に感覚的な死の恐怖が増えているような気がします。技術的な安全がたとえ保証されていても、人間として感じる「直感的な恐怖」は拭えません。多分ジェットコースターが安全だとわかっていても怖くて乗りたくないのと同じです。(いやもちろん恐怖の感じ方には個人差あるけれど) まだうまく言葉にできませんが、慣れで乗り越えるとかそういうもの以上のものだと思うのです。
他にも、技術的には世界を滅ぼすほどの兵器を創ることはできるでしょう。しかしそれが作られて実際に使われることはされていません。つまり技術の可能性が社会において実現するには、人間のフィルターを通ることが不可避なのだと思います。可能性は時間さえあれば無限大だとするならば、結局はその「人間のフィルターが社会に浸透する道具を決めている」ということです。

テクニウムの考え

以前読んだ『テクニウム(ケヴィン・ケリー著)』には興味深いことが書いてありました。要旨はこういうことです。

  • テクノロジーは自律的に進化する
  • 今の技術が次の技術を呼び、連鎖的に進化していく
  • この進化はもう止められない
  • しかし人間が進化の方向性を決めることが出来る

重要なのは最後の人間が進化の方向性を決められるという点です。この説明には北朝鮮の例が出ていました。要旨はこういうことです。

宇宙から見ると、日本やアメリカなどの先進国は夜でも明かりで輝いているが、北朝鮮は夜になると真っ暗である。北朝鮮が明かりを持っていないわけではなく、明かりを使わないことを「選択」している。

人間が選択権を持っている限り、人間が反対する選択はされないということになります。その選択には先ほど述べた「死への恐怖」や「倫理観」が関わってきます。自分を自ら死に追い込む選択を、意識しているにも関わらず行うことは無いでしょう。

「友愛」や「愛情」「平等」といった人間が長い歴史をかけて育んできた価値観に反するようなことも恐らく起きることはないのではないでしょうか。自身たちが命を賭して守ってきたものを自ら破壊する自己否定的な行動は取れないと思うのです。そういった方向性で技術が用いられることはないではないでしょうか。

そうするとどうなん

自分はそう考えると、大きなプロダクト、それこそ空飛ぶ車とかって普及しないんじゃないって思います。頭上を気にしつづける生活なんてできないし、いずれ嫌になります。一回墜落事故でも起きたら、ものすごい論争になると思います。人工知能の台頭で「人間の条件」「人間を人間たらしめるもの」の判断を迫られます。それも共通の答えが出るものではないでしょう。なのでもうあと数十年くらいで道具の進化を「人間がやめる選択をする」のではないかと僕は予想します。宇宙旅行とかで打ち止めじゃないでしょうか。マトリックスみたいな世界は人間に望まれなさそうです。

まとめ

人間の進化は人間の生存本能や倫理観に逆らっては生じません。技術の進化はあくまで人間が選択できます。その選択には人間の生物としての変わらない本質が必ずつきまといます。だからこそいつの時代も学ぶべきものなのだと思います。そうすることで自分たちがどこに向かうのか知ることができます。最適な判断を行うために、僕も人間としての感性を磨いていきたいと思います。