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ロジックの奴隷にならない

テーマ

今回は「自分の意志とロジックの関係」についての話です。

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みんなが恐らく感じたことのある「納得するけど共感しない」という感覚とは何か、などに通ずる話です。自分や組織における意志決定の軸を見直す上で参考になれば良いと思います。

結論

今回の結論はこの2つに集約されます。

  • 意志が介在することにおいてロジックは手段であって目的にはならないこと
  • 自分(たち)のやりたいことを大事にすること

ではこの結論の背景を書いていきます。

納得するけど共感しない

納得するけど共感しない」自分のいた組織ではこの言葉が良く使われていました。
この言葉の意味は「言っていることの意味はわかるし、筋が通っていると思うんだけど、感覚的に何か違う気がして賛同できない」ということです。
納得するけど共感されない意見はほとんどの場合、論理がしっかり通っています。論理的に導けばそういう意見になるということです。論理が通っているので、反証ができない「論理的に正しい」意見です。しかし共感されないとはどういうことなのでしょうか。

論理の性質

では論理が通っているとはどういうことなのでしょうか。まずは「論理」の意味をネットで調べてみました。
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ろん‐り【論理】 の意味(出典:デジタル大辞泉
1. 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。
 思考の妥当性が保証される法則や形式。「論理に飛躍がある」
2. 事物の間にある法則的な連関。
3. 「論理学」の略。
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つまり論理とは思考を組み立てる方式のことで、論理を用いれば妥当性が保証されるということだと思います。
この論理の例は数学です。数学は問題に対して答えが1つ用意されます。この答えは問題文など前提条件が変わらない限り変わりません。誰が解くのか、いつ解くのかといった文脈に答えは影響されません。「1 + 1 」は誰が解こうが、いつ解かれようが、その答えは「2」です。
数学でなくても、自分の周りに起きている問題も、問題の原因を構造化し、現状を当てはめれば、自分が問題解決のために取るべき合理的な行動が決まるのです。
つまり論理を用いることで「誰にとっても妥当な答え」を示してくれるのです。これが論理の通っている意見がみんなに納得される所以です。
しかし自分はこの「論理」に固執することに対して警鐘を鳴らしたいのです。

ロジックの弊害

誰にとっても妥当な答え」とは魅力的に聞こえますが、これは逆を言えば「誰にとっても妥当ではない答え」ということだと思うのです。

個人はみな違っているにも関わらず、誰にとっても妥当であるということは、「個人に対して何も言っていない」ことと同じなのです。

ロジック至上主義に陥る人生は自分の人生を歩んでいません。合理的な決定は誰にでも下せるわけですから、それは他の人にも歩める人生だと言うことです。そんな人生を僕たちは誰のために生きるのでしょうか。

論理を通すことが目的化してはいけません。論理は問題解決や意志決定において、重要な観点や情報を与えてくれます。しかしそれ自体が僕たちにとって最も良いものであるというわけではありません。論理はあくまでよりより人生を実現するための手段でしかないのです。

それぞれの文脈で考える

ここからは個々の場合から、論理の果たす役割や注意する点を見ていきたいと思います。組織と個人の例をあげていきます。

組織(共通の目的がない場合)

組織の例:就活のグループディスカッションのグループ

この組織には共通の目的が存在しません。個々が目的を果たすために、チームが形として形成されているだけです。

就活のGDを例にとると、あのチームは個々人が「選考の通過」を目的にしています。なのでチームとしてどうなろうが、自分が選考に通過できればいい、そういうチームです。

そのチームで行う議論は論理だけが通っていればいいです。そもそも論理的思考力が選考の通過の要件としてあるのですが、それは今回のテーマから少し外れています。

大事なのは、GDにはチームとしての決定に責任は誰もないということです。

大抵の場合GDのアウトプットを誰かが実行するわけでもないですし、議論目的に集められているグループですから、個々がどんな人であるかとか、何がしたいかであるとかは関係ありません。このチームは論理の代弁者であるだけですチームの人が入れ替わったとしても(もし思考などの能力値が同じならば)生まれるアウトプットは変わらないでしょう。それが論理というものだからです。

この場合、納得は必要だけど共感は必要ないのです。

組織(共通の目的がある場合)

組織の例:学生団体、部活のチーム

上と変わって、次は共通の目的を持った組織です。団体として目指すものがある場合にはこちらのケースに該当します。

上との違いは「チームとして共有する目的があること」「"自分たちが"やりたいことがある」ということです。

この場合はチームで決まったことはチーム全員に影響を及ぼします。そのため、チームとしての決定には、全員に責任が伴います。だからこそ「自分自身の考え」を主張する必要があるのです。「自分自身の考え」とは「論理」ではなく、「自分が何を正しいと思うのか、何がしたいのか、何を大事にしたいのか」などの意見です。

こういったチームには「自分がやっていること」の意味があります。論理的に考えて、やったほうが良いから学生団体の活動をしている人なんていないでしょう。

論理なんて関係なく、何かしらやりたいことがあると思ったからやっているでしょう。

そういった論理ではない感情、考えが重要なのです。

もし論理にこだわるとどうなるかというと、まずあなたにとってあなたが活動する意味はなくなります。(やりたいこと=論理的な帰結の場合は除く)

そしてチームにとってもあなたが活動する意味もなくなります。論理は誰にでも妥当であるから、誰にでも用いることのできるものだからです。極端な話、機械でも変わることができます。

つまり目的のある組織から「自分のやりたいこと」「大事にしたいこと」を取り除き、ロジック至上の考えをした時、その組織は活動する人にとって意味を失うのです。

個人の場合

最後に個人の場合を考えてみましょう。

まず前提となるのは「自分の人生の責任は自分が取る」という考え方です。自分の人生で起きたことの責任は誰もとってくれません。自分がそれを引き受けるしかありません。

自分がロジックに従って生きるとどうなるか。その人生は「論理」にとって正しい人生であって、「あなた」にとって正しい人生ではありません。要するにその環境に置かれた人間ならば誰でも生きることができる人生ということです。つまり「あなたらしさがないのない人生」。極端に言えば機械でも生きられる人生。そういうことです。

ロジックを駆使して人に見栄を張ろうとしたり、自分の失敗を言い訳したり、自身の行動を正当化することなどすると思います。そうやって他人を納得させることはできます。しかしそのロジックに意味はあるのでしょうか。

自分の人生を引き受けるのは結局自分なのに、自分の決定や行動の正当性を他に証明することの意味などあるのでしょうか。他の人からしたら、あなたの人生の正しさなど、私には関係ないのだからどうでもいい、そう考えるでしょう。

別に友達が「おれ〇〇って考えるから起業家になるんだ!」って言っていて、その言葉に論理があろうがなかろうが、(ツッコミどころやFBはあるにしても)別にその決定に論理が通っていようがいまいが関係ないですよね。その人の人生なんだから、そこにロジックがあろうがなかろうが、やると決めたことをやればいい。と考えます。

だから自分の人生の選択に論理を通すことが目的となってはいけないと思うのです。論理が目的化した人生など誰にでも生きられる人生なのだから誰にも意味が無いのです。

論理はあくまで妥当性を高めるための手段であって、それ自体が目的化してはいけません。

自分が自分の理想を実現するために必要な行動を取れば良いのです。論理はそれを実現するための1つのツールにすぎません。

何をしたらいいか

じゃあどうするかというと

  • 論理抜きにして自分・組織のやりたい気持ちを大事にする
  • 自分・組織にしかできないこと考える

すごい単純ですがこういうことかなと思います。この2つがあって、初めて自分がやる意味が生まれます。他に変えが効かなくなります。

これが出来て「共感」が生まれるのではないでしょうか。結局論理では人も組織も動きません。共感があって初めて大きな影響を生み出していくことが出来ます。

これをないがしろにして生きてはいけないと思うのです。代わりに論理が生きてくれる人生など生きる意味がない。論理も何もないけど熱くなる、心高鳴る、そんな感情を大事にして生きたいのです。

組織では意志決定においてしばしば、「論理に固執して、決まってみたら誰もやりたくない決定だった」なんてことがあります。これは議論が就活のGDと同じになっているということです。自分たちがやりたいこと、今のメンバーだからできること、それを中心に考えていく必要があるでしょう。

まとめ

結論の繰り返しですが、

  • 意志が介在することにおいてロジックは手段であって目的にはならないこと
  • 自分(たち)のやりたいことを大事にすること

この2つを大事にしましょう。論理は強力ですが、油断をしていると自分を乗っ取ってきます。論理は性質を理解して「使う」ようにしましょう。あくまで自分の達成したいこと、やりたいことを叶える「手段」です!