まず書いてみよう

大学生が日頃の気付き、学びを気軽に綴っていくブログです!

「何に生きるか」ではなく「どう生きるか」を問う

テーマ

今回はゆるっと自由に書いていきたいと思います。

最近は「かっこよく生きたい」と思うことが多いです。すっごいシンプルです。

就職活動でこんなこと人事に話したかなと思うと、いや話してないなと思いました。でも小さい頃を振り返ってみると、意外とそういうことずっと思っていたかもしれません。

卓球少年時代

自分は自分がかっこいいと思った人についていこう、この人のように自分もなりたいと努力するのがこれまでの人生だったかなと思います。卓球をやっていた中高生の時代にはたくさんのコーチや顧問の先生の方にお世話になりましたが、コーチの生き方や考え方にはすごく憧れを感じていました。

高校の時に所属していたクラブチームのコーチには「あんまでかすぎる夢見るんじゃねえ。中学から卓球始めたやつなんか、高校でインターハイまで行ければ大成功だよ。だから一生使える卓球を目指せ。そしたら60歳になってもずっと良い卓球していける。卓球を通じて、人間性を高めていってくれよ。」と言葉をかけてもらっていました。

夢を見ることも大事ですが、夢を見ることがその人にとって良いことばかりとは限りません。35年の指導歴を持つそのコーチは数々の全国選手を輩出してきた方です。自身の経験から生徒たちの成長や考え方を見抜き、現実的だけど本当に僕たちのためになる言葉をかけてくれていたのだと思います。

すごく厳しい先生でしたが、こだわりを持ち、70歳を越えても、指導者として卓球を研究し続ける姿をとてもかっこいいと思っていました。

かっこいい人たち

自分の人生の中で、自分がかっこいいと思う人に結構会ってきたと思っています。

生き様レベルでかっこいいと思う人もいますし、一部分をすごくかっこいいと感じることもあります。自分がかっこいいと感じる傾向はこんな感じでした。

  • 自分の利益を捨てて、自分以外の人の利益を尊重できる
  • 人のために人に嫌われることができる
  • 死んでもなお貫きたい自分のこだわりをもっている
  • 謙虚である
  • 常に向上する意志がある
  • 自分の弱さを認め、素直にそれを乗り越えていこうとする

どのへんからそう感じるようになったのでしょうか。

小さい時なんかは北斗の拳をめちゃめちゃ読んで、世紀末の男の生きざまにはとても感化されていたようも思います。マンガ大好きでしたからジャンプ系の熱血漢も好きなんですね。

中高は完全に卓球を教わった先生方の影響です。礼儀や考え方、根性など、ジャンプに根ざす行動を実際にやっていくようになったという感じでしょうか。

大学に入ってからはそれまで比べて多種多様な人に出会うようになったので、この生き方かっこよくないっていう逆の例を得るようになったかもしれません。

それによってさらに自分のかっこいいと思う生き方が強化されていきました。

最近は映画を見たり、小説を読んでいると、やはり上記のような生き方をする登場人物は好きになったり、感動させられたりします。

人生は「領域」×「生き方」

最近ふと人生を2要素で考える切り口を思いつきました。

「領域(何に力を注ぐか)」×「生き方」

です。もう少し噛み砕くと「何に生きるか」×「どう生きるか」です。

最近までしていた就職活動で考えてたのって「自分のやりたいことってなんだろう」っていうことばかりでした。ぶっちゃけ今でもそんなわかっていないです。

やりたいことわからんんn、、、、ってぐるぐるーーー

やりたいことわからない状態での進路選択ってすごく不安になりました。

でもこの「領域」×「生き方」の分け方で考えるとなんか違って見えてきました。

「生き方」が自分には大事

自分の中で強くあるものはほとんどが「生き方」の考え方なんです。人はこうあるべきだ、このような生き方をするのがかっこいい、こういう人生にはしたくない。すべて何に力を注ぐかとか、領域とかには関係なく、「どんなことを大事に生きるのか」っていうところです。

たぶん自分を捧げる表面的な対象(ex. 仕事、学問、研究、遊びetc)はあんま関係ないんだなと思います。熱意の対象結構うつりがちです。

きっと自分の人生における納得度は「どう生きるか」にあるから、「何に生きるか」はそんなに問題では無い気がしているのが最近です。
自分が熱意を向けたい対象はきっと色々とその時々で変わってきます。もしこれに生きたいっていう対象が見つかったとしても、それはまたすぐに変わる可能性があります。
自分のこれまでも
  • 幼稚園児:ガンプラ、積み木
  • 小学生:マンガ執筆
  • 中学高校:卓球
  • 大学:学生団体

こんな感じでしたが、間は本当にスパッと切れてますし、学年とか環境が変わるとやりたいことぱっと変わります。大学入ってから卓球ほとんどやってません。

社会人になってからの熱意を向ける対象は、そのうち時が来れば見つかるかもしれないし、ここで決めなければいけない、という場面が出てくると思います。熱意の対象は移ることができます。でも自分にとっての「かっこいい生き方」はもう変わらないと思うのです。僕にとっては、どういう生き方をするのがかっこいいかのほうがきっと人生には重要です。かっこいい生き方は生きる領域や環境には影響されません。どんな場所でも貫くものが生き方だからです。

人は生き様に心打たれる 

人が心動かされるのは、功績や権威とかではなく、生き様、つまり「どう生きたか」であると思います。人を尊敬する時は、その人の功績のすごさを尊敬するのではなく、そこにいたるまでの過程で、どのように困難を乗り越えてきたか、こだわりを持ち続けて来たのかに尊敬の念を抱きます。

内村鑑三は著書『後世への最大遺物』で、1人の人間が後世に残しうるものは「高尚な生き様」であると言っています。人の生き様は廃れること無く、後世に継がれ、人に影響を与え続けていくものである。僕はこれに非常に共感します。

まとめ

自分にとってより重要なのは「領域(何に力を注ぐか)」よりも「生き方」なのだと思うようになりました。この二種を切り分けて考えることで、自分の考えを明確にし、より自分にとっての豊かな人生を考えるきっかけになると思います。みなさんも「何に生きたいのか」と「どう生きたいのか」に分けて一度考えてみて下さい!